浪速なにわ)” の例文
明石の君は源氏の一行が浪速なにわを立った翌日は吉日でもあったから住吉へ行って御幣みてぐらを奉った。その人だけの願も果たしたのである。
源氏物語:14 澪標 (新字新仮名) / 紫式部(著)
お茶の水で飛田林覚兵衛とんだばやしかくべえに襲われ、浪速なにわあやめに助けられ、そのあやめが雇ってくれた駕籠で山岸主税やまぎしちからは屋敷へかえって来た。
仇討姉妹笠 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
武州河越より平知盛たいらのとももりに進ぜしを河越黒、余りに黒い故磨墨するすみ、馬をも人をもいければ生唼いけずきなど、多く毛色産地気質等に拠って名づけたので、津国の浪速なにわの事か法ならぬ。
あるものは胆吹山まで持越して隠して置く。それをするには、京都に近く、奈良に近く、滋賀と浪速なにわとを控えたこのあたりが、絶好のところであり、今の時が絶好の時である。
大菩薩峠:40 山科の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
当時とうじ江戸えどでは一ばんだという、その笠森かさもり水茶屋みずぢゃやむすめが、どれほどすぐれた縹緻きりょうにもせよ、浪速なにわ天満天神てんまんてんじんの、はしたもと程近ほどちか薬種問屋やくしゅどんや小西こにし」のむすめまれて、なにひとつ不自由ふじゆうらず
おせん (新字新仮名) / 邦枝完二(著)
吉野よしのを旗艦として、高千穂たかちほ浪速なにわ秋津洲あきつしまの第一遊撃隊、先鋒せんぽうとして前にあり。
小説 不如帰  (新字新仮名) / 徳冨蘆花(著)
幸い旧語学校の同窓の川島浪速なにわがその頃警務学堂監督として北京に在任して声望隆々日の出の勢いであったので、久しぶりで訪問して旧情をあたためかたがた志望を打明けて相談したところが
二葉亭四迷の一生 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
………かの女たちは、ハンド・バッグさえあれば、たとえ露天の夜だってたえ忍ぶことができる、浪速なにわへなりと、上海だって、街のエロチシズムの集散地へなりと、こころのままに行くことができる。
小夜子が浪速なにわタキシイへ電話をかけた。
仮装人物 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
浪速なにわの豪商淀屋辰五郎が、闕所けっしょになる前に家財の大半を、こっそり隠したということですが、その財産だということですの」
仇討姉妹笠 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
そそけた蘆のはえた景色けしき浪速なにわの浦が思われるのへ、そちらへあちらへ美しい歌の字が配られているような、澄んだ調子のものがあるかと思うと
源氏物語:32 梅が枝 (新字新仮名) / 紫式部(著)
瀬戸内海を縫うてまた浪速なにわへと志し、安治川あじかわを上って京の伏見より江州を経て勢州に至り、尾張、三河、遠江とおとうみ、そこの狩宿に十王堂を建て、十王尊と奪衣婆だつえばを納め、駿河するがの随所に作物を止めて
大菩薩峠:35 胆吹の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
曲独楽使いの浪速なにわあやめが、女猿廻しになっている! これは山岸主税ちからにとっては、全く驚異といわざるを得なかった。
仇討姉妹笠 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
五節の舞い姫は皆とどまって宮中の奉仕をするようとの仰せであったが、いったんは皆退出させて、近江守おうみのかみのは唐崎からさき、摂津守の子は浪速なにわはらいをさせたいと願って自宅へ帰った。
源氏物語:21 乙女 (新字新仮名) / 紫式部(著)
源氏は浪速なにわに船を着けて、そこではらいをした。住吉すみよしの神へも無事に帰洛きらくの日の来た報告をして、幾つかのがんを実行しようと思う意志のあることも使いに言わせた。自身は参詣さんけいしなかった。
源氏物語:13 明石 (新字新仮名) / 紫式部(著)
こんな時に自分などが貧弱な御幣みてぐらを差し上げても神様も目にとどめにならぬだろうし、帰ってしまうこともできない、今日は浪速なにわのほうへ船をまわして、そこではらいでもするほうがよいと思って
源氏物語:14 澪標 (新字新仮名) / 紫式部(著)