残喘ざんぜん)” の例文
肴は丈夫なものだと説明しておいたが、いくら丈夫でもこう焼かれたり煮られたりしてはたまらん。多病にして残喘ざんぜんたもつ方がよほど結構だ。
吾輩は猫である (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
要するに、予の半生はんせい将死しょうしの気力をし、ややこころよくその光陰こういんを送り、今なお残喘ざんぜんべ得たるは、しんに先生のたまものというべし。
が、その座には秋の蚊が残喘ざんぜんを保っていて、時々人の肌を襲いに来る、という意味の句らしい。
古句を観る (新字新仮名) / 柴田宵曲(著)
では、この六週間の苦悶とこの一日じゅうの残喘ざんぜんとは、いったい何なのか。こんなに徐々にまたこんなに早くたってゆくこの取り返しのつかぬ一日の苦悩は、いったい何なのか。
死刑囚最後の日 (新字新仮名) / ヴィクトル・ユゴー(著)
新しい潮流が何べんとなくやって来ては、あたりの店の外観をかえショウウインドーの飾りつけをかえ、そこらにわずかに残喘ざんぜんを保つようにして巴渦うずを巻いている昔の街のさまをかえた。
日本橋附近 (新字新仮名) / 田山花袋(著)
ひかり滑々かつかつたる先生の禿げ頭で、これまた後頭部のあたりに、種々しょうしょうたる胡麻塩ごましおの髪の毛が、わずかに残喘ざんぜんを保っていたが、大部分は博物はくぶつの教科書に画が出ている駝鳥だちょうの卵なるものと相違はない。
毛利先生 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
新島襄君は是を以て「コンクレゲーショナリスツ」の一派を結び、我日本の精神世界に運動を試みたり、孔夫子は嘗て、是を以て、支那の人心を結びたり、今日も猶其残喘ざんぜんを保ちつゝあり
俳句は享保に至りて芭蕉門の英俊多くは死し、支考しこう乙由おつゆうらが残喘ざんぜんを保ちてますます俗に堕つるあるのみ。明和以後枯楊櫱こようひこばえを生じて漸く春風に吹かれたる俳句は天明に至りてその盛を極む。
俳人蕪村 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
文壇の大家になると、古手の思想が凝固こりかたまって、其人の吾は之に圧倒せられ、わずか残喘ざんぜんを保っているようなのが幾らもある。斯ういう人が、現実に触れると、気の毒な程他愛の無い人になる。
平凡 (新字新仮名) / 二葉亭四迷(著)
それといふのもうしほおとが、さても巨いな残喘ざんぜんのごと
鼻は——あのあごの下まで下っていた鼻は、ほとんど嘘のように萎縮して、今はわずかに上唇の上で意気地なく残喘ざんぜんを保っている。所々まだらに赤くなっているのは、恐らく踏まれた時のあとであろう。
(新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
俳句は享保に至りて芭蕉門の英俊多くは死し、支考、乙由おつゆうらが残喘ざんぜんを保ちてますます俗につるあるのみ。明和以後枯楊孽こようげつを生じてようやく春風に吹かれたる俳句は天明に至りてその盛をきわむ。
俳人蕪村 (新字新仮名) / 正岡子規(著)
呼吸は間歇的かんけつてきになり、わずかな残喘ざんぜんにも途切らされた。