歔欷きょき)” の例文
地上にてついた二人の影と、低くしずかに余韻を響かせている鉄の扉の軋音あつおんと、——いつの間にか、その音は、車匿の歔欷きょきに変わっていた。
二十歳のエチュード (新字新仮名) / 原口統三(著)
と涙をふるって痛論せしかば、満場せきとして云うところを知らず。唯、証人席に在りしアリナの実父母が歔欷きょきするあるのみ。
押絵の奇蹟 (新字新仮名) / 夢野久作(著)
が復直ぐに地面に坐り、また其処で暫く歔欷きょきしたが、遂に懐中から懐剣を取り出し、あわや喉へ突き立てようとした。
高島異誌 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
歔欷きょきの波うねり、一字をも読む能わず、四つに折り畳んで、ふところへ、仕舞い込んだものであるが、内心、塩でもまれて焼き焦がされる思いであった。
狂言の神 (新字新仮名) / 太宰治(著)
高貴なる血統に宿った凄惨な悲劇を、御一族は身をもって担い、倒れたのであるが、この重圧からの呻吟しんぎん歔欷きょきの声は、わが国史に末長く余韻して尽きない。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
間もなく階下したの客間から、素晴らしいピアノの音が響いて来ました。ショパンのソナタ変ロ短調の第三楽章、嗚咽と歔欷きょきにみちたあの美しい「葬送行進曲」です。
新古今集しんこきんしゅうの和歌は、ほろび行く公卿くげ階級の悲哀と、その虚無的厭世感えんせいかんの底で歔欷きょきしているところの、えんあやしくなまめかしいエロチシズムとを、暮春の空ににおかすみのように
郷愁の詩人 与謝蕪村 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)
彼は歔欷きょきの発作に襲われた。通行人らは、悲しみに顔をひきつらしてるこの大きな青年を、驚いてながめていった。彼は涙がほおに流れても、ぬぐおうともせずに歩きつづけた。
お母さん、堪忍してくださいとひとこと言ったまま、長い間畳の上に歔欷きょきしていた。
盗難 (新字新仮名) / 佐藤垢石(著)
不意に、歔欷きょきの声が一座をおどろかした。それは、若い副艦長のゲビスであった。
船医の立場 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
その時に処しその局に当たりて、あるいは知るに及ばざるもの、知りて制するに及ばざるものあり。これもとより俗士とともに談じがたし。よってもって歔欷きょきするものこれを久しゅうす。
将来の日本:04 将来の日本 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
尤もそれは、あの禍の日からもうかれ是一と月ほどもたつて、ただ狂ほしい嗚咽や歔欷きょきやが鎮まりはじめ、周囲の夥しい出来ごとに比較的冷静な思ひをめぐらすことが出来る頃になつてであつた。
水と砂 (新字旧仮名) / 神西清(著)
彼女は自分のやったことに気づいて、その結果に思いをせたとき、はじめて胸苦しくなり、心が遠くなった。ほんとうに逆上した。うつ伏していた歔欷きょきがはたと停って、彼女は首を立てたのだ。
石狩川 (新字新仮名) / 本庄陸男(著)
チチアネルロ (歔欷きょきす。)今日か明日あすかだ。それでおしまいだ。
ものの十秒とも経たないうちにその啜泣は波打つ歔欷きょきと変った。
あめんちあ (新字新仮名) / 富ノ沢麟太郎(著)
そろそろ自身狼狽ろうばい、歯くいしばっても歔欷きょきの声、そのうちに大声出そうで、出そうで、小屋からまろび出て、思いのたけ泣いて泣いて泣いてから考えた。
二十世紀旗手 (新字新仮名) / 太宰治(著)
コトコトコトコトと川瀬のささやき。やがて静かに糸を曳き歔欷きょきする声の聞こえるのはお吉の洩らす泣き声であった。
蔦葛木曽棧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
彼は芭蕉よりもなお悲しく、夜半に独り起きてさめざめと歔欷きょきするような詩人であった。
郷愁の詩人 与謝蕪村 (新字新仮名) / 萩原朔太郎(著)
言葉をえて言えば、チャイコフスキーの泣きれた姿——嗚咽おえつ歔欷きょき慟哭どうこくとに充ちた音楽——は常に我らのために——存分に泣くことをさえ許されない我らに代って——心から悲しむ姿であり
楽聖物語 (新字新仮名) / 野村胡堂野村あらえびす(著)
突然、彼は人の歔欷きょきを耳にしたように感じた。
あめんちあ (新字新仮名) / 富ノ沢麟太郎(著)
群衆の中からも、歔欷きょきの声が聞えた。暴君ディオニスは、群衆の背後から二人の様を、まじまじと見つめていたが、やがて静かに二人に近づき、顔をあからめて、こう言った。
走れメロス (新字新仮名) / 太宰治(著)
かれ顔面蒼白、わなわなふるえて、はては失神せんばかりの烈しき歔欷きょき
創生記 (新字新仮名) / 太宰治(著)
うめくような、歔欷きょきなさるような苦しげの声で言い出したので、弟子たちすべて、のけぞらんばかりに驚き、一斉に席を蹴って立ち、あの人のまわりに集っておのおの、主よ、私のことですか、主よ
駈込み訴え (新字新仮名) / 太宰治(著)
声しのばせての歔欷きょきに誘われ、大声放って泣きました。
虚構の春 (新字新仮名) / 太宰治(著)