柔弱にゅうじゃく)” の例文
今より六、七十年前、英国の思想家のあいだに基督教キリストきょう柔弱にゅうじゃくに流るるを憤慨ふんがいして、いわゆる腕力的基督教マスキュラークリスチャニーチーを主張したものがあった。
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
立っていたのは、同じ番町ばんちょうで屋敷を隣り合わせて、水馬のときにも同じ二組でくつわを並べて、旗本柔弱にゅうじゃくなりと一緒に叱られた仲間の柘植つげ新兵衛だった。
山県有朋の靴 (新字新仮名) / 佐々木味津三(著)
堅彊けんきょうは死の柔弱にゅうじゃくは生の徒なれば、「学ぼう。学ぼう」というコチコチの態度を忌まれたもののようである。
悟浄出世 (新字新仮名) / 中島敦(著)
一角は、啓之助のような、白面柔弱にゅうじゃくでなく、また、弥助よりも兇暴であるかもしれないが粗暴ではない。
鳴門秘帖:01 上方の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
義元死後も朝比奈兵衛大夫のほか立派な家老も四五人は居るのであるが、氏真、少しも崇敬せずして、三浦右衛門義元と云う柔弱にゅうじゃくの士のみを用いて、おどり酒宴に明け暮れした。
桶狭間合戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
「だから柔弱にゅうじゃくでいけない。僕なぞは学資に窮した時、一日に白米二合で間に合せた事がある」
二百十日 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
夫は生前、加島家の没落を歎き、どのようにしても倅文次郎を武士に仕立て、家名を挙げることを心掛けておりましたが、倅は柔弱にゅうじゃくな生れで、武家奉公などは思いも寄りません
その私の繰り返し繰り返し言った忠告が効を奏したのか、あるいは、かのシェパアドとの一戦にぶざまな惨敗ざんぱいきっしたせいか、ポチは、卑屈なほど柔弱にゅうじゃくな態度をとりはじめた。
私は十九の年に父親を、その翌年に一人の妹をなくしたが、生来柔弱にゅうじゃくたちの私は、その時も随分悲しんだけれど、でも、初代の場合とは比べものにはならぬ。恋は妙なものだ。
孤島の鬼 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
三十歳前後に至って始めて顔があかく焼けて来て脂肪しぼうたたえ急に体が太り出して紳士しんし然たる貫禄かんろくを備えるようになるその時分までは全く婦女子も同様に色が白く衣服の好みも随分柔弱にゅうじゃくなのである。
春琴抄 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
私儀わたくしぎ柔弱にゅうじゃく多病につき、敵打の本懐も遂げ難きやに存ぜられ候間そうろうあいだ……」
或敵打の話 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
またこの宗教の旨をそのままに遵奉じゅんぽうすれば、とかく柔弱にゅうじゃくに流れ、かえって開祖の主旨に反するおそれもある。
自警録 (新字新仮名) / 新渡戸稲造(著)
こういう柔弱にゅうじゃくな文化人共が、徽宗きそう皇帝をとり巻いて、皇帝をしてまるで一箇の画家か美術の保護者みたいなものに仕立て上げてしまったからこそ、ついに北宋を亡ぼしたのである
人間山水図巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
と、みな見恍みとれた。——といっても、蒲柳ほりゅう柔弱にゅうじゃくな型ではなく、四肢は伸びやかに、眉はく、頬は小麦色に、くちびるのごとく、いかにも健康そうな、美丈夫、偉丈夫の風があった。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
あなた様が、そんな柔弱にゅうじゃくなご気質か否か、誰よりも、吉次はよく知っています。それだけに、吉次でさえも、身がふるえました。かりそめにも、源九郎御曹子には、亡き義朝様の血を
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
三十ちょっと越えたくらいな年頃で、せ形ではあり、色の小白い顔を、茄子紺なすこんの頭巾でくるんでいるので、京侍のように柔弱にゅうじゃくらしくもあるが、顔はきりっと緊まっていて、眉が太い。
新編忠臣蔵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
おのれのような柔弱にゅうじゃく武士に、赤穂の衆の爪の垢でもせんじてのませたら、少しは、人間らしい魂にもなろうか。ちっとは、世間で、あの衆の噂もその耳に聞くであろうに、呆れかえった大馬鹿。
べんがら炬燵 (新字新仮名) / 吉川英治(著)