東坡とうば)” の例文
歳月人をたず、匆々そうそうとして過ぎ去ることは誠に東坡とうばが言うが如く、「惆悵ちゅうちょうす東欄一樹の雪。人生看るを得るは幾清明いくせいめいぞ。」
十九の秋 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
東坡とうばの「留侯論」中の語をきたれば「その意書にらず」の一句にて足るべし。彼らが学問は、書物の上の学問にあらずして、実際の上の学問なり。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
それから天下に名の聞えた名士になれば、東坡とうばなんぞのように、芸者にも大事にせられるだろう。その時は絹のハンケチに詩でも書いて遣るのである。
ヰタ・セクスアリス (新字新仮名) / 森鴎外(著)
若殿様を楽天らくてんに、御自分を東坡とうばに比していらしったそうでございますが、そう云う風流第一の才子が、如何いかに中御門の御姫様は御美しいのに致しましても
邪宗門 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
われく、東坡とうば洗兒詩こをあらふしに、人皆養子望聰明ひとみなこをやしなうてそうめいをのぞむ我被聰明誤一生われそうめいをかうむりていつしやうをあやまる孩兒愚且魯がいじぐにしてかつおろかに無災無難到公卿さいなくなんなくこうけいにいたれ
聞きたるまゝ (旧字旧仮名) / 泉鏡花(著)
「これは東坡とうばの詩でござる。……人心の翻覆至って量り難し……これがこの詩の眼目じゃ。そなたが旅に出られてからも、注意すべきはこの点じゃ。充分注意なさるがよい」
蔦葛木曽棧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
物物而責之用ものをものとしてこれがようをせむれば用亦窮矣ようもまたきゆうす東坡とうば外傳のはじめに題せし西疇子せいちうしが言もおもはるゝは、二三の新聞の文學を視るこゝろの狹さなり。文學國を滅ぼすといふものあり。
柵草紙の山房論文 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
曇りがちであった十一月の天気も二三日前の雨と風とにすっかりさだまって、いよいよ「一年ノ好景君記取セヨ」と東坡とうばの言ったような小春の好時節になったのである。
濹東綺譚 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
げん李※りかん文湖州ぶんこしうの竹を見る数十ふくことごとく意に満たず。東坡とうば山谷等さんこくらの評を読むもまた思ふらく、その交親にわたくしするならんと。たまたま友人王子慶わうしけいと遇ひ、話次わじ文湖州の竹に及ぶ。子慶いはく、君いまだ真蹟を見ざるのみ。
毎年庭の梅の散りかける頃になると、客間の床には、きまって何如璋の揮毫きごうした東坡とうばの絶句が懸けられるので、わたくしは老耄ろうもうした今日に至ってもなおく左の二十八字を暗記している。
十九の秋 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
漢土かんどには白雨を詠じたる詩にして人口に膾炙するもの東坡とうばが望湖楼酔書を始めとう韓偓かんあく夏夜雨かやのあめしん呉錫麒ごしゃくき澄懐園消夏襍詩ちょうかいゑんしょうかざっしなぞそのるいすくなからず。彼我風土の光景互に相似たるを知るに足る。
夕立 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
近頃四谷に移住うつりすみてよりはふと東坡とうばが酔余の手跡しゅせきを見その飄逸ひょういつ豪邁ごうまいの筆勢を憬慕けいぼ法帖ほうじょう多く購求あがないもとめて手習てならい致しける故唐人とうじん行草ぎょうそうの書体訳もなく読得よみえしなり。何事も日頃の心掛によるぞかし。
矢はずぐさ (新字旧仮名) / 永井荷風(著)