暗鬱あんうつ)” の例文
相模灘を圧している水平線の腰の辺りには、雨をでも含んでいそうな、暗鬱あんうつな雲が低迷していた。もう、午後四時を廻っていた。
真珠夫人 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
暗鬱あんうつな日がやがて暮れてしまった。省三は机の前に坐っていた。彼は夕飯に往こうともしなければ、細君の方からも呼びに来もしなかった。
水郷異聞 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
そこでも、味いあますがゆえにいつも暗鬱あんうつな未練を残している人間と、飽和に達するがゆえに明色の恬淡にさえる人間とは極端な対象を做した。
食魔 (新字新仮名) / 岡本かの子(著)
こう体のうちに鬱屈うっくつしている元気とでもいうようなものが、血の底にたまって、それがひどくなると、暗鬱あんうつにさえなってくるのじゃないかと思います
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
暗鬱あんうつな空に日の目を見ない長い冬のあいだの楽しい炬燵こたつ団欒だんらんや——ちょっとした部屋の模様や庭のたたずまいにも、何か神秘めいた陰影を塗り立てて、そんなことを話すのであった。
仮装人物 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
私の仕事場の窓上の、崖の上のもりの樹木の緑が日に日に深くなって、仕事場の台の上や人形の肌などにまで淡い緑の影がうらうらと動くような季節になると、西谷は酷く暗鬱あんうつになって来た。
後世のギリシヤ人は太古祖先の繁栄を一層強く引立たせる目的で、わざわざ土耳古トルコ人にしいたげられていたのではあるまいか、自分は日本よりも支那を愛する。暗鬱あんうつ悲惨なるがゆえにロシヤを敬う。
曇天 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
と、その気味の悪い笑い声は暗鬱あんうつたる処女林に鳴り渡り、三倍ほどもある反響となって彼の耳へそのまま返って来た。すると、それに驚いたものか、傍の檜木ひのき空洞うつろからふくろうが一羽飛び出した。
蔦葛木曽棧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
彼はこう考えただけでも、暗鬱あんうつな憤怒に引込まれた。第一そうなれば、もう何もかも一変してしまう。彼自身の状態にすら変化が生ずる。つまり、今すぐドゥーニャに秘密を打明けねばならぬ。
作家チェーホフの暗鬱あんうつをきわめる精神の内部にようやく一脈の微光がさしそめて、未来の日の希望へと見開かれる末期のひとみの用意ができあがろうとしていることも、恐らくは否定しがたい事実で
どこまでつづく暗鬱あんうつぞ。日記をつけるのも、いやになった。
正義と微笑 (新字新仮名) / 太宰治(著)
達磨だるま部屋の底には、水夫頭かこがしらの松兵衛と新吉、魚油くさい灯壺ひつぼを中に挟んで、互に、ものもいわず、ためいきばかりつきあって、暗鬱あんうつな腕ぐみをしていたところ。
鳴門秘帖:04 船路の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
暗鬱あんうつな低い空を見上げていた時の、さびしさなどは忘れ難い。
十五年間 (新字新仮名) / 太宰治(著)
その日から殆どおしみたいに黙って暗鬱あんうつになり、誰よりも消極的で、誰からも臆病者に見えていた北条新蔵のひとみには、もう我慢ならないといったようなものが常に底に燃えていた。
宮本武蔵:06 空の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
実に、暗鬱あんうつな気持であった。
正義と微笑 (新字新仮名) / 太宰治(著)
希望に燃えている、豪壮を愛している、殺伐な裏には優雅にかわいている、血腥ちなまぐさい半面には華麗を慕う。——それは武人自身でなく、むしろ暗鬱あんうつな戦国の下に長くおびえいじけて来た民心にたいして
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
左次兵衛は、暗鬱あんうつな顔をして、脇息きょうそくから、庭を見ていた。
治郎吉格子 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
お仙はちょっと、暗鬱あんうつになった。
治郎吉格子 (新字新仮名) / 吉川英治(著)