御供おんとも)” の例文
で講武所總體は右の御進發の御供おんとも、親父も同じく大阪に滯在するうち徒目附かちめつけといふ役に轉じた。そこで私も京都の方をして、親父と一緒に大阪に來て居た。
兵馬倥偬の人 (旧字旧仮名) / 塚原渋柿園塚原蓼洲(著)
さて又徳太郎君には道中もとゞこほりなく同年霜月しもつき加納將監御供おんともにて江戸麹町紀州家きしうけ上屋敷へ到着たうちやくと相成り夫より左京太夫殿家督相續かとくさうぞく萬端ばんたん首尾しゆびよく相濟せられたり。
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
「はッ、主税御供おんともつかまつりまする上からは、御道中いささかたりとも御懸念はござりませぬ。」
婦系図 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
寛永かんえい九年十二月九日御先代妙解院殿忠利公みょうげいんでんただとしこう肥後ひごへ御入国遊ばされ候時、景一も御供おんともいたし候。十八年三月十七日に妙解院殿卒去遊ばされ、次いで九月二日景一も病死いたし候。享年きょうねん八十四歳に候。
興津弥五右衛門の遺書 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
直ちに後世ごせ御供おんともつかまつるべう候ひしに、性頑冥にして悟り得ず、望みなき世に長生ながらへて斯かる無念をまのあたり見る事のかへすがへすも口惜しう候ふぞや、時頼進んでは君が鴻恩の萬一に答ふる能はず
滝口入道 (旧字旧仮名) / 高山樗牛(著)
「この義隆もしからば御供おんとも!」
あさひの鎧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
「ぜひ、最後までは、御供おんともを」
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
さまし何事にやと庄三郎お常お熊忠八も此所へ來り彼是かれこれなすに長助は加賀屋へ駈行かけゆき又七樣只今たゞいまきふ御逢成おあひなさたきとの事出來しにより私し御供おんとも仕つるべきあひだ御入下おんいりくだされよと申ければ長兵衞驚き直樣すぐさま同道どうだうにて入り來るにお常は長兵衞にむかひ又七事お熊を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
ち淨覺院の門前に捨子と致し右老母も死去しきよ致したるなり淨覺院先住天道存命中の遺言ゆゐごんかくの如し依て常樂院初め我々御守護申上何卒なにとぞ御世みよに出し奉らんと渺々はる/″\御供おんとも申上候なりと辯舌水の流るゝ如く滔々たう/\と申述ければ松平伊豆守殿初め御役人方おやくにんがたいづれもことばは無くたゞ點頭うなづくばかりなりしが然ば御身分の儀は委敷くはしく相分りたり此上は
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)