待受まちうけ)” の例文
かくし夜半頃新町橋にいたり待受まちうけたり彌七は斯る事とはゆめにも知ず其夜は大いにざんざめき翌朝よくてう夜明方よあけがたに新町の茶屋を立出橋へ掛る處を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
サアおいでだというお先布令さきぶれがあると、昔堅気むかしかたぎの百姓たちが一同に炬火たいまつをふりらして、我先われさきと二里も三里も出揃でぞろって、お待受まちうけをするのです。
忘れ形見 (新字新仮名) / 若松賤子(著)
木の間隠れに閃くやいばを引抜きて原丹治が待受まちうける所へ通りかゝる青馬に、大文字おおもじに鹽原と書きたる桐油を掛けて居りますゆえ、多助に相違ないと心得
塩原多助一代記 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
梅田着の上り列車で同志会総理加藤高明男が南海遊説の帰途かへりみちに大阪へ立寄るといふので、まだ薄暗い朝靄あさもやのなかから、一等待合室へ顔を出した待受まちうけの三人衆、一人は北浜花外楼きたはまくわぐわいろう女将おかみ
きゝ與惣次は大いに喜び然ば御途中とちう待受まちうけて直に願はゞ萬一傳吉が助かることもあらんかかつはお專が氣をも取直とりなほさせんと其のことを
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
圖「はゝアかしこまりました、就きましては甚だ差上げる物もござらんが、いさゝ酒肴しゅこうを取寄せお待受まちうけを致して居りましたから、何うぞ一さんお傾け下され、さ周玄これへ」
書遺かきのこし候我等一昨年いっさくねん九月四日の奧州屋新助殿をおひさの実の兄と知らず身請されては一分立たずと若気の至りにて妻恋坂下に待受まちうけして新助殿を殺害せつがい致し候其の時新助殿始めて松山の次男なる事を
松と藤芸妓の替紋 (新字新仮名) / 三遊亭円朝(著)
一私し穀屋平兵衞と別懇べつこんに仕つり候處關宿せきやどざい坂戸村名主庄右衞門方より穀代金請取歸り候ぜん以て手紙にて承知仕つり候ゆゑ六月廿七日の夜權現堂小篠堤に待受まちうけ殺害せつがいいたし金百兩ぬすみ取候に相違さうゐ無御座候依之此段奉申上候以上
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)