寵遇ちょうぐう)” の例文
曹操から、俺の敵と睨まれたら助からないが、反対に彼が、この男はと見込むと、その寵遇ちょうぐうは、どこの将軍にも劣らなかった。
三国志:03 群星の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
前代の寵遇ちょうぐうあずかりながら、後堀河の御代となって引きつづき時めいた歌人は、定家のほかには誰もなかったといってよい。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
元弘建武以来の錚々そうそうたる大名であり、山陰の尼子氏の如きもその分家に過ぎない——松の丸の閨縁けいえんによって豊臣秀吉の寵遇ちょうぐうを受け——といった名家であることは
大菩薩峠:35 胆吹の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
俗にいう武士の風上かざかみにも置かれぬとはすなわちわが一身いっしんの事なり、後世子孫これを再演するなかれとの意を示して、断然だんぜん政府の寵遇ちょうぐうを辞し、官爵かんしゃく利禄りろくなげう
瘠我慢の説:02 瘠我慢の説 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
と云うのは、大概大名の奥向きなどでは、正室の夫人よりもめかけたちの方が寵遇ちょうぐうされているものだのに、織部正は思い人を妻に迎えたゞけあって、夫婦仲が非常によい。
暗殺された四人が、近年ずっと綱宗の側近に仕え、寵遇ちょうぐうされていた事実はよく知られていた。
陶晴賢すえはるかたが主君大内義隆を殺した遠因は、義隆が相良遠江守武任さがらとおとうみのかみたけとう寵遇ちょうぐうしたからである。
厳島合戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
あまりに、寵遇ちょうぐうれすぎておでたからじゃ。五年余の間、天王寺に在陣中も、茶之湯ばかりにられて、陣務はいっこう怠っておられたという。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
話はもとへもどるが、治承元年に六条清輔きよすけが卒したのは、俊成出家の翌年六十四のときだが、その後右大臣九条兼実は俊成の歌を愛して彼を寵遇ちょうぐうした。
中世の文学伝統 (新字新仮名) / 風巻景次郎(著)
これにいる少僧都しょうそうず範宴は、今峰阿弥のいうたように、後鳥羽院より格別な寵遇ちょうぐうを賜うた義経公とは復従兄弟またいとこの間がらじゃ、院の御心をしのび参らせ、また
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その三事のわざをもって、足利あしかがの初世から、室町の世に栄え、今川家、織田家、豊臣家と代々の執権から寵遇ちょうぐうをうけて今につづいて来ているふるい家すじでもあった。
宮本武蔵:05 風の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
わけて法皇の寵遇ちょうぐうはいよいよ厚く、義経をご信用と聞く。頼朝の心は穏やかであり得ない。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
後醍醐の名は、尊治たかはるである。——北条高時の高を高氏の名から捨てさせたいお心もあったのか、何しても一武臣へ、これは破格なことだった。寵遇ちょうぐうの象徴としてこれ以上な附与ふよはない。
忠盛が、あんなにも長い年月、ろくに出仕しゅっしもせず、お召しのほかは、節会せちえや式日の参向さんこうすら怠って来ながら、このごろやっと、久びさな勤務についても、上皇は、以前どおりな寵遇ちょうぐうをかれに示された。
羽将軍も、むかしと違って、いまは曹操の寵遇ちょうぐうも厚く、恩にほだされて、妾たちが足手まといになって来たのでございましょう。……それならそれと云ってください。いっそのこと、将軍の剣で……妾たちのはかない生命を
三国志:05 臣道の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)