太宰府だざいふ)” の例文
純友は部下の藤原恒利といふ頼み切つた奴に裏斬りをされて大敗した後ですら、余勇をして一挙して太宰府だざいふおとしいれた。
平将門 (新字旧仮名) / 幸田露伴(著)
街には、柳の並木が風にゆれ、遠く、太宰府だざいふの背後に聳える宝満山の暗いいただきは、低い雲ととけあっている。
花と龍 (新字新仮名) / 火野葦平(著)
太宰府だざいふ以来、長い艦路ふなじの旅で、ご退屈らしく見うけられる。何か、五卿ごきょうのお慰みになるような工夫はないか」
松のや露八 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
太宰府だざいふもうでし人帰りきての話に、かの女乞食にたるが襤褸ぼろ着し、力士すもうとりに伴いて鳥居のわきに袖乞そでごいするを見しという。人々皆な思いあたる節なりといえり。
源おじ (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
むかし筑前ちくぜんの国、太宰府だざいふの町に、白坂徳右衛門とくえもんとて代々酒屋を営み太宰府一の長者、その息女おらんの美形ならびなく、七つ八つのころから見る人すべて瞠若どうじゃく
新釈諸国噺 (新字新仮名) / 太宰治(著)
それで太宰府だざいふは寄っても仕方あるまいとあって割愛かつあいすることになり、降り込められる覚悟で大層早目に佐賀に着いてしまった。ところが佐賀は晴天で埃が立つほどだった。
ぐうたら道中記 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
その時になると、長州藩主父子は官位を復して入洛じゅらくを許さるることとなり、太宰府だざいふにある三条実美さねとみらの五卿もまた入洛復位を許されて、その時までの舞台は全く一変した。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
強きに附く人の情なれば、世に落人の宿る蔭はなく、太宰府だざいふの一夜の夢に昔を忍ぶ遑もあらで、緒方をがたに追はれ、松浦に逼られ、九國の山野廣けれども、立ちまるべき足場もなし。
滝口入道 (旧字旧仮名) / 高山樗牛(著)
豊後・肥前・日向等の『風土記ふどき』に、土蜘蛛つちぐも退治の記事の多いことは、常陸・陸奥等に譲りませず、更に『続日本紀しょくにほんぎ』の文武天皇二年の条には太宰府だざいふちょくして豊後の大野、肥後の鞠智きくち
山の人生 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
道筋の村の名も知らず宿々しゅくじゅくの順も知らずに、ただ東の方にむいて、小倉こくらには如何どう行くかと道を聞て、筑前を通り抜けて、多分太宰府だざいふの近所を通ったろうと思いますが、小倉には三日めについた。
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
大正六年十月十八日 筑前ちくぜん太宰府だざいふに至る。同夜都府楼址とふろうしに佇む。懐古。
五百句 (新字旧仮名) / 高浜虚子(著)
米沢の笹野観音で毎年十二月十七、八日の両日に売出す玩具であって、土地で御鷹というのは素朴な木彫でうぐいすに似た形の鳥であるが、これも九州太宰府だざいふ鷽鳥うそどりや前記の鶉車の系統に属するものである。
土俗玩具の話 (新字新仮名) / 淡島寒月(著)
筑紫つくし太宰府だざいふにて「離レテ三四月 落涙百千行 万事皆如 時々アヲク彼蒼ヒサウヲ」御哥に「夕ざれば野にも山にも立烟りなげきよりこそもえまさりけれ」又雨の日に「雨のあしたかくるゝ人もなければやきてしぬれきぬひるよしもなき」
筑前ちくぜん太宰府だざいふに潜伏していた三条実美さねとみ以下の五卿であった。
松のや露八 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
筑紫つくし太宰府だざいふにて「離レテ三四月 落涙百千行 万事皆如 時々アヲク彼蒼ヒサウヲ」御哥に「夕ざれば野にも山にも立烟りなげきよりこそもえまさりけれ」又雨の日に「雨のあしたかくるゝ人もなければやきてしぬれきぬひるよしもなき」