大御所おおごしょ)” の例文
四月三十日のひつじこく、彼等の軍勢を打ち破った浅野但馬守長晟あさのたじまのかみながあきら大御所おおごしょ徳川家康とくがわいえやすに戦いの勝利を報じた上、直之の首を献上けんじょうした。
古千屋 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
先生のレーリーきょうの伝記の中に、卿がゼー・ゼー・トムソンを指導したやりかたについて、「自分の都合だけ考える大御所おおごしょ的大家ではなかった」
指導者としての寺田先生 (新字新仮名) / 中谷宇吉郎(著)
晩年こそ謹厳いやしくもされなかった大御所おおごしょ古稀庵こきあん老人でさえ、ダンス熱に夢中になって、山県のやり踊りの名さえ残した時代、上流の俊髦しゅんぼう前光卿は沐猴もくこうかんしたのは違う大宮人おおみやびと
柳原燁子(白蓮) (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
豊家の遺孤いこを守って、徳川老大御所おおごしょの関東軍との義戦に、この一少年弁次郎が、いわゆる九度山くどやま隠者いんじゃ真田幸村として、大坂入城者の到着簿とうちゃくぼ第一にその名を見出す日があろうとは。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
が、大御所おおごしょ吉宗よしむねの内意を受けて、手負ておいと披露ひろうしたまま駕籠かごで中の口から、平川口へ出て引きとらせた。おおやけに死去の届が出たのは、二十一日の事である。
忠義 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
はやくも見こんでいるとおり、後年太閤たいこう阿弥陀峰頭あみだほうとうの土としてのち、孤立こりつ大坂城おおさかじょうをひとりで背負せおって、関東かんとう老獪将軍ろうかいしょうぐん大御所おおごしょきもをしばしばやした、稀世きせい大軍師だいぐんし真田幸村さなだゆきむらとは
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
今日の時世に、維新の元勲元帥の輝きを額にかざし、官僚式に風靡し、大御所おおごしょ公の尊号さえ附けられている、大勲位公爵を夫とする貞子夫人の生立ちは、あわれにもいたましい心のきずがある。
明治美人伝 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
塙団右衛門ばんだんえもんほどのさむらいの首も大御所おおごしょの実検にはそなえおらぬか? それがし一手ひとての大将だったものを。こういうはずかしめを受けた上は必ずたたりをせずにはおかぬぞ。……
古千屋 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
とかく人と申すものは年をとるに従ってじょうばかりこわくなるものと聞いております。大御所おおごしょほどの弓取もやはりこれだけは下々しもじものものと少しもお変りなさりませぬ。
古千屋 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)