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大垣
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おおがき
ふりがな文庫
“
大垣
(
おおがき
)” の例文
そのころになると東山道軍の本営は美濃まで動いて来て、
大垣
(
おおがき
)
を御本陣にあて、沿道諸藩との交渉を進めているやに聞こえて来た。
夜明け前:03 第二部上
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
これが
大垣
(
おおがき
)
に近づくにつれて、大垣の城主
氏家行広
(
うじいえゆきひろ
)
も来て合し、曾根の城主稲葉一鉄も参加し、秀吉に
謁
(
えっ
)
して
麾下
(
きか
)
に属した。
新書太閤記:09 第九分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
伊吹山はあたかもこの関所の番兵のようにそびえているわけである。
大垣
(
おおがき
)
米原
(
まいばら
)
間の鉄道線路は、この顕著な「
地殻
(
ちかく
)
の割れ目」を縫うて敷かれてある。
伊吹山の句について
(新字新仮名)
/
寺田寅彦
(著)
彼の名は
山県銀之丞
(
やまがたぎんのじょう
)
という。
大垣
(
おおがき
)
の
石川備前守
(
いしかわびぜんのかみ
)
家臣で、父を
珂右衛門
(
かえもん
)
といい、五百石で国許勘定役を勤めていた。
武道宵節句
(新字新仮名)
/
山本周五郎
(著)
駒井甚
(
こまいじん
)
三
郎
(
ろう
)
、
喜田川頼母
(
きたがわたのも
)
、
寺門一馬
(
てらかどかずま
)
、
大垣
(
おおがき
)
七
郎右衛門
(
ろうえもん
)
など、側近の面々、おくれじとつづきながら、これはえらいことになった、この小藩に日光お
出費
(
ものいり
)
とは
丹下左膳:02 こけ猿の巻
(新字新仮名)
/
林不忘
(著)
▼ もっと見る
大垣
(
おおがき
)
の附近にはゴチソウサンゴト、信州でも
上田
(
うえだ
)
地方にはヨバレッコもしくはオンバレコ、これは新旧二つの方言のたがいに接近して
紛
(
まぎ
)
れやすくなった例である。
こども風土記
(新字新仮名)
/
柳田国男
(著)
あの
大垣
(
おおがき
)
の菅野未亡人までが出席すると云い出す有様で、近頃派手な披露宴になることが予想された。
細雪:03 下巻
(新字新仮名)
/
谷崎潤一郎
(著)
あの
濃尾
(
のうび
)
の
大地震
(
おおじしん
)
がございました年で、あれ以来この
大垣
(
おおがき
)
もがらりと
容子
(
ようす
)
が違ってしまいましたが、その頃町には小学校がちょうど二つございまして、一つは藩侯の御建てになったもの
疑惑
(新字新仮名)
/
芥川竜之介
(著)
朝眼が覚めたのは
大垣
(
おおがき
)
あたりだった。娘さんは床の上へハンカチを落してよく眠っていた。昨日は
灯火
(
あかり
)
が暗くてよく分らなかったけれども、本当に泣いたのだろう、
瞼
(
まぶた
)
が
紅
(
あか
)
くふくらんでいた。
田舎がえり
(新字新仮名)
/
林芙美子
(著)
美濃の
大垣
(
おおがき
)
あたりに生まれた青年で、異国の学問に志し、遠く長崎の方へ出発したという人の話なぞも、決してめずらしいことではなくなった。
夜明け前:01 第一部上
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
「
大垣
(
おおがき
)
まで、筑前の
名代
(
みょうだい
)
として、使いに行ってこい。正使には、浅野
弥兵衛
(
やへえ
)
をつかわす。弥兵衛についてまいるのじゃ」
新書太閤記:11 第十一分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
太古の大地変の
痕跡
(
こんせき
)
を示して、山骨を露出し、
急峻
(
きゅうしゅん
)
な姿をしているのであるが、
大垣
(
おおがき
)
から見れば、それほど
突兀
(
とっこつ
)
たる姿をしていないだろうという事は
伊吹山の句について
(新字新仮名)
/
寺田寅彦
(著)
主君から
一伍一什
(
いちぶしじゅう
)
を聞いた
高大之進
(
こうだいのしん
)
、
大垣
(
おおがき
)
七
郎右衛門
(
ろうえもん
)
、
寺門一馬
(
てらかどかずま
)
、
駒井甚
(
こまいじん
)
三
郎
(
ろう
)
、
喜田川頼母
(
きたがわたのも
)
の
面々
(
めんめん
)
、口々に
丹下左膳:02 こけ猿の巻
(新字新仮名)
/
林不忘
(著)
大垣
(
おおがき
)
藩の侍医をしていた細香の家と菅野家とは交際があったらしく、細香の父
蘭斎
(
らんさい
)
の
尺牘
(
せきとく
)
なども残っていることなどが話題になって、未亡人と沢崎との間に暫くその方面の閑談が弾み
細雪:03 下巻
(新字新仮名)
/
谷崎潤一郎
(著)
「これから君の足で木曾街道を下って行ったら、
大垣
(
おおがき
)
あたりで総督の一行に追いつきゃしないか。」
夜明け前:03 第二部上
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
大垣
(
おおがき
)
の女学校の生徒が修学旅行で
箱根
(
はこね
)
へ来て一泊した翌朝、出発の間ぎわに監督の先生が記念の写真をとるというので、おおぜいの生徒が
渓流
(
けいりゅう
)
に架したつり橋の上に並んだ。
災難雑考
(新字新仮名)
/
寺田寅彦
(著)
秀吉は、
多芸郡
(
たきごおり
)
の要所に、後日のための
塁
(
るい
)
を築かせて、十三日、
大垣
(
おおがき
)
まで帰った。
新書太閤記:11 第十一分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
柳生
(
やぎゅう
)
の里から応援に江戸入りした
高大之進
(
こうだいのしん
)
を隊長とする一団、
大垣
(
おおがき
)
七
郎右衛門
(
ろうえもん
)
、
寺門一馬
(
てらかどかずま
)
、
喜田川頼母
(
きたがわたのも
)
、
駒井甚
(
こまいじん
)
三
郎
(
ろう
)
、
井上近江
(
いのうえおうみ
)
、
清水粂之介
(
しみずくめのすけ
)
ら二十三名の
柳門
(
りゅうもん
)
選
(
え
)
り抜きの剣手は、
麻布本村町
(
あざぶほんむらちょう
)
丹下左膳:02 こけ猿の巻
(新字新仮名)
/
林不忘
(著)
尤
(
もっと
)
も、幸子
宛
(
あて
)
に来た姉の手紙を読むと、少し頼りないようなところもあって、飛び着く程の縁談とも云えないのであるが、ありようは、義兄の長姉が縁付いている
大垣
(
おおがき
)
在の豪農に
菅野
(
すがの
)
と云う家があり
細雪:03 下巻
(新字新仮名)
/
谷崎潤一郎
(著)
病気の手当ては言うまでもなく、寛斎留守中は
大垣
(
おおがき
)
の医者を頼み、おりから木曾路を通行する
若州
(
じゃくしゅう
)
の典医、水戸姫君の典医にまですがって診察を受けさせたことも書いてよこした。
夜明け前:01 第一部上
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
「家は、
岐阜
(
ぎふ
)
と
大垣
(
おおがき
)
のあいだの、
小野
(
おの
)
の
里
(
さと
)
でございます。その小野を出て、
稲葉山
(
いなばやま
)
の裏道で、連れの者と、待ちあわせる約束をしたのに、どうしたのか、その男がもどって来ませぬ……」
新書太閤記:10 第十分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「しかし、清助さん、
大垣
(
おおがき
)
のことを考えてごらんな。あの大きな藩でも、城を明け渡して、五百七十人からの人数が今度のお供でしょう。福島の御家中でも、そうはがんばれまい。」
夜明け前:03 第二部上
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
無事、慰問も終ったので、使者たちは、あくる日の早朝、
大垣
(
おおがき
)
を立った。
新書太閤記:11 第十一分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
“大垣(大垣市)”の解説
大垣市(おおがきし)は、岐阜県の西濃地方に位置する市。1918年(大正7年)市制施行。
(出典:Wikipedia)
大
常用漢字
小1
部首:⼤
3画
垣
常用漢字
中学
部首:⼟
9画
“大垣”で始まる語句
大垣藩
大垣町
大垣伊右衛門