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垂井
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たるい
ふりがな文庫
“
垂井
(
たるい
)” の例文
自分でこんな非常時的態度に出て居るので、勝家の方でも亦、秀吉の襲撃を恐れて、越前への帰途、
垂井
(
たるい
)
に留り
躊躇
(
ちゅうちょ
)
する事数日に及んだ。
賤ヶ岳合戦
(新字新仮名)
/
菊池寛
(著)
古い
垂井
(
たるい
)
ノ
宿
(
しゅく
)
から
不破
(
ふわ
)
あたりへかかると、車の通行数はグンと少なくなってくるが、そのかわりに今度はひどい悪道路がえんえんと続き出す。
随筆 私本太平記
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
がんりきはこのことを考えて、美濃路をついに
垂井
(
たるい
)
の宿まで来てしまったのが、三日目のもう夕刻です。
大菩薩峠:36 新月の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
十一月二十七日に中津川を出立した浪士らは
加納藩
(
かのうはん
)
や
大垣藩
(
おおがきはん
)
との衝突を避け、本曾街道の赤坂、
垂井
(
たるい
)
あたりの要処には
彦根藩
(
ひこねはん
)
の出兵があると聞いて、あれから道を西北方に転じ
夜明け前:02 第一部下
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
「伊吹の
蓬
(
よもぎ
)
を、春に刈って、夏に干して、秋から冬にもぐさにして、それから
垂井
(
たるい
)
の宿場で、
土産物
(
みやげもの
)
にして売るのです」
宮本武蔵:02 地の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
▼ もっと見る
西へ向って行けば、二つ目の丁場がそれだとさ、この次が
垂井
(
たるい
)
というので、それまで二里半、垂井の次が関ヶ原で一里半ということだから、まだ四里からあるにはあるんだがね——馬に乗っておいでよ
大菩薩峠:33 不破の関の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
(
垂井
(
たるい
)
から
不破
(
ふわ
)
の山間の通路を
扼
(
やく
)
して、秀吉の精兵が長浜を出て、昨夜以来、勝家ござんなれと、待ちかまえている)
新書太閤記:08 第八分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
垂井
(
たるい
)
の
宿
(
しゅく
)
まで無事に来てしまいました。
大菩薩峠:33 不破の関の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
それは二人がこれから指して行こうとする
垂井
(
たるい
)
の国分寺から出た
寺触
(
てらぶれ
)
で、春の
道者船停止
(
どうじゃぶねていし
)
の沙汰が公示してある。
鳴門秘帖:03 木曾の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
この
垂井
(
たるい
)
へ着くとすぐ、佐和山の石田三成へ使いにやったその使者が今帰って来たと告げて来たからである。
大谷刑部
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
すなわち天堂一角が、阿州屋敷から助太刀に派遣された、
原士
(
はらし
)
の組と協力して、もちの木坂に法月弦之丞を待ちぶせした、その翌々日、
垂井
(
たるい
)
の
宿
(
しゅく
)
で発したもの。
鳴門秘帖:04 船路の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
大物見(斥候隊)は、ずっと離れて、
垂井
(
たるい
)
の
宿
(
しゅく
)
附近まで出ていた。この辺にも何の異状も認められない。
新書太閤記:08 第八分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「
先刻
(
さっき
)
通ってきた
垂井
(
たるい
)
の
宿
(
しゅく
)
に、たしか、大谷刑部
少輔吉継
(
しょうゆうよしつぐ
)
様御宿舎という立て札を見たように思うが」
大谷刑部
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
密封した書状の
上紙
(
うわがみ
)
には、木曾街道
垂井
(
たるい
)
の
宿
(
しゅく
)
、
御用飛脚屋
(
ごようひきゃくや
)
むかでやの扱い
印
(
いん
)
がベットリとおしてある。
鳴門秘帖:04 船路の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
それも
不破
(
ふわ
)
から二里、
垂井
(
たるい
)
から一里余りでしかない。すると、伊吹の曳く山すそが西南へながれてゆく半山地に
拠
(
よ
)
って、人の住むらしい屋根が点々と望まれてくる。
新書太閤記:10 第十分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
というほどな苦しみを訴えて迫るし、居坐ったまま捕まるのも能がないと思って決意をかため、
垂井
(
たるい
)
の
宿
(
しゅく
)
と思われる方角へ、彼を負って降りかけて来たところだった。
宮本武蔵:02 地の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
けれど軍旅の尊氏は、美濃の
垂井
(
たるい
)
ノ
宿
(
しゅく
)
まで来て、ここで後光厳に拝謁をとげると、二十日ほども陣中で寝こんでしまった。医者も病名のつけようのない病気であった。
私本太平記:13 黒白帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
美濃へ入って
垂井
(
たるい
)
の国分寺へもやがて近くなった。日いち日とはかどる旅の春も深くなってゆく。
鳴門秘帖:03 木曾の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
垂井
(
たるい
)
の宿場あたりで
陽
(
ひ
)
が暮れた。——それから伊吹山の
裾野
(
すその
)
を、悠々と、駒を打たせて行った。
新書太閤記:04 第四分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
先陣が江州の
柏原
(
かしわばら
)
に着いても、後陣はまだ
垂井
(
たるい
)
や赤坂を通っているほどその列は長かった。
新書太閤記:03 第三分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
厭
(
いや
)
とも云わないのである、黙って、佐和山から駕に乗って、
夜半
(
よなか
)
に
垂井
(
たるい
)
へもどった。
大谷刑部
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
垂井
(
たるい
)
まで行けば、弦之丞にも会えるだろうし、国分寺の
印可
(
いんか
)
をうけて、目的地への渡海もたやすくできるものと、互に励ましあってきただけに、二人は希望の目前を絶壁に
塞
(
ふさ
)
がれて
鳴門秘帖:03 木曾の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
二十人は、
垂井
(
たるい
)
、関ヶ原、藤川、
馬上
(
まけ
)
、長浜のあいだ、行く先々の村民に触れて、日暮れなば、
松明
(
たいまつ
)
を道々に
灯
(
とも
)
しおくこと。また、道の
邪
(
さまた
)
げとなる手車や牛や木材などは往来に置くな。
新書太閤記:09 第九分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
それは美濃の
垂井
(
たるい
)
の
宿
(
しゅく
)
、
国分寺
(
こくぶんじ
)
の
割印
(
わりいん
)
を
捺
(
お
)
した
遍路切手
(
へんろきって
)
で、それを持って国分寺にゆけば、この三月の中旬に、阿波八十八ヵ所の遍路にのぼる
道者船
(
どうじゃぶね
)
の便乗をゆるされるということだ。
鳴門秘帖:02 江戸の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
鴻山の手から、阿波へ渡る
遍路
(
へんろ
)
切手をうけとって、中仙道から、木曾路の
垂井
(
たるい
)
へ急いで行きました。そこにゃ、先に姿を消してしまった法月弦之丞もいて、この春の道者船にのる支度を
鳴門秘帖:02 江戸の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
垂井
(
たるい
)
では、ここにも休息の屋形をしつらえて、犬山の御坊——去年武田家の
質子
(
ちし
)
から送り帰された信長の末子が——待ちもうけ、やはり一献進上の儀があり、
今洲
(
います
)
でも、
佐和山
(
さわやま
)
でも、山崎でも
新書太閤記:06 第六分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
垂井
(
たるい
)
の附近で、敵の一小隊と衝突して帰って来た兵たちが、黒い汗を
拭
(
ぬぐ
)
いながら、兵糧を頬ばったり、手傷を縛ったりしている中を、時ならぬ花の香りをこぼして、美しい女性が通って行ったので
新書太閤記:04 第四分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
関ヶ原を経て、
垂井
(
たるい
)
の
宿
(
しゅく
)
までかかると、供の佐屋桑十が
新書太閤記:03 第三分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「
垂井
(
たるい
)
の在でござる」
新書太閤記:03 第三分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
垂
常用漢字
小6
部首:⼟
8画
井
常用漢字
小4
部首:⼆
4画
“垂井”で始まる語句
垂井清水