そして国師岳から東北に延びた甲信国境の山稜からも狭い急な尾根が正東に派出されて、子酉川の上流を南北の二大支流に分つのである。
中央の信州沢を上れば、国境山脈の国師甲武信二山の間の最低鞍部に出で、左の金山沢を登れば、国境山脈と石塔尾根との分岐点附近に達するのである。
“国師”の意味
“国師”の解説
国師(こくし、くす)は、高僧に対して皇帝(朝廷)から贈られる諡号の1つであり、特に皇帝の師への尊称である。
僧侶に贈られる諡号としては、他にも大師号、禅師号などがある。
中国では、北宋初の賛寧による『大宋僧史略』巻中「国師」によれば、北斉の法常に国師号が贈られたのが最初であるとする。また、陳隋の頃には、天台智顗を国師と号していた。唐代に入ると、禅宗の北宗六祖の神秀を国師とした。憲宗の元和年間には、知玄を悟達国師とした、という例を挙げている。
また日本では奈良時代に1国(地方行政単位)ずつに国師を置き、それぞれの国の仏教行政を統括させた。
(出典:Wikipedia)
僧侶に贈られる諡号としては、他にも大師号、禅師号などがある。
中国では、北宋初の賛寧による『大宋僧史略』巻中「国師」によれば、北斉の法常に国師号が贈られたのが最初であるとする。また、陳隋の頃には、天台智顗を国師と号していた。唐代に入ると、禅宗の北宗六祖の神秀を国師とした。憲宗の元和年間には、知玄を悟達国師とした、という例を挙げている。
また日本では奈良時代に1国(地方行政単位)ずつに国師を置き、それぞれの国の仏教行政を統括させた。
(出典:Wikipedia)