国師こくし)” の例文
そして国師こくし岳から東北に延びた甲信国境の山稜からも狭い急な尾根が正東に派出されて、子酉川の上流を南北の二大支流に分つのである。
「はい、国師こくしさまはじめ、あえなくおくなりはてた、一ざんれいをとむろうていたのでござります」
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
雲巌寺は開基五百余年の古寺ふるでらで、境内に後嵯峨ごさが天皇の皇子おうじ仏国ふつこく国師こくしの墳墓がある。
本州横断 癇癪徒歩旅行 (新字新仮名) / 押川春浪(著)
南牧みなみまき北牧きたまき相木あいきなどの村々がちらばっていまして、金峯山きんぷさん国師こくしたけ甲武信こぶしたけ三国山みくにやまの高くそびえたかたちを望むこともでき、また、甲州にまたがったつがたけの山つづきには
力餅 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
中央の信州沢を上れば、国境山脈の国師こくし甲武信二山の間の最低鞍部に出で、左の金山沢を登れば、国境山脈と石塔尾根との分岐点附近に達するのである。
秩父の渓谷美 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
国師こくしさまも、あのほのおの底で、ご最期さいごになったのであろうか、忍剣よ、わしは悲しい……」
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
八つが岳の山つづきにある赤々とした大崩壊おおくずれの跡、金峯きんぶ国師こくし甲武信こぶし三国みくにの山々、その高くそびえた頂、それから名も知られない山々の遠く近く重なり合った姿が、私達の眺望ちょうぼうの中に入った。
千曲川のスケッチ (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
南日なんにち君と二人で秩父の栃本から十文字峠をえ、梓山に下って其処そこから初めて甲武信岳へ登った時のことである、金峰山と国師こくし岳との間は縦走されているにもかかわらず
奥秩父の山旅日記 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
国師こくしッ、この寺内じない信玄しんげんの孫、伊那丸をかくまっているというたしかな訴人そにんがあった。なわをうってさしだせばよし、さもなくば、寺もろとも、きつくして、みな殺しにせよ、という厳命げんめいであるぞ。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
其尾根が一度下って前飛竜を隆起させている頂をこえて、円く黒い山が覗いている。これは自分が奥仙丈岳と命名したいと思う山で、国師こくし岳を西に下りた三繋平みつなぎだいらの南に在る。
望岳都東京 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
西沢を遡って国師こくし奥仙丈二山の間の鞍部三繋平みつなぎだいらに登り、荒川に沿うて御岳みたけ方面へ下ろうというのが第一案で、三繋平へ登ったならば、国師岳をえて金山沢を下り、更に釜沢に入り
釜沢行 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
尤も私は二十九年に金峰山に登って川端下かわはげに下り、十文字峠をえて栃本に出たことがあり、又故荻野音松君は三十九年に川浦から国師こくし岳に登り、金峰山迄縦走して黒平くろべらに下っている
初めて秩父に入った頃 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
国師こくし甲武信間の縦走に就ては全く苦心した。
思い出す儘に (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)