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南山
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なんざん
ふりがな文庫
“
南山
(
なんざん
)” の例文
何ぞ
若
(
し
)
かん、俗に混じて、しかも
自
(
みづか
)
ら俗ならざるには。
籬
(
まがき
)
に菊有り。
琴
(
こと
)
に
絃
(
げん
)
無し。
南山
(
なんざん
)
見
来
(
きた
)
れば常に悠々。
寿陵余子
(
じゆりようよし
)
文を
陋屋
(
ろうをく
)
に売る。
骨董羹:―寿陵余子の仮名のもとに筆を執れる戯文―
(新字旧仮名)
/
芥川竜之介
(著)
淵明だって
年
(
ねん
)
が
年中
(
ねんじゅう
)
南山
(
なんざん
)
を見詰めていたのでもあるまいし、王維も好んで
竹藪
(
たけやぶ
)
の中に
蚊帳
(
かや
)
を釣らずに寝た男でもなかろう。
草枕
(新字新仮名)
/
夏目漱石
(著)
なぜならば、曹軍の敗滅急なりと見て、ここに
渭南
(
いなん
)
の県令
丁斐
(
ていひ
)
という者が、
南山
(
なんざん
)
の上から牧場の牛馬を解放して、一散に山から追い出したのである。
三国志:08 望蜀の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「
南山
(
なんざん
)
に
白額
(
はくがく
)
のとらが
出
(
い
)
でて村の人をくらう、
長橋
(
ちょうきょう
)
の下に
赤竜
(
せきりゅう
)
がでて村の人をくらう、いま一つは……」
ああ玉杯に花うけて
(新字新仮名)
/
佐藤紅緑
(著)
そして風雅人鑑賞家として知られた
孫七峯
(
そんしちほう
)
とつづき
合
(
あい
)
で、七峯は当時の名士であった
楊文襄
(
ようぶんじょう
)
、
文太史
(
ぶんたいし
)
、
祝京兆
(
しゅくけいちょう
)
、
唐解元
(
とうかいげん
)
、
李西涯
(
りせいがい
)
等と
朋友
(
ともだち
)
で、七峯のいたところの
南山
(
なんざん
)
で
骨董
(新字新仮名)
/
幸田露伴
(著)
▼ もっと見る
三十七八年役に
南山
(
なんざん
)
を攻撃した兵卒の中に、敵の砲弾を受けながら、
高梁
(
かうりやん
)
の畑で糞をしたものがある。新聞には大胆な振舞として書いてあつた。あれも矢張神経の刺戟である。
金貨
(新字旧仮名)
/
森鴎外
(著)
その罪
南山
(
なんざん
)
の竹を
尽
(
つく
)
すも数えがたしと云うような、漢学者流の文句をゴテ/″\書て
遣
(
やっ
)
た。
福翁自伝:02 福翁自伝
(新字新仮名)
/
福沢諭吉
(著)
「天下の風雲をよそにして、菊を
南山
(
なんざん
)
に
採
(
と
)
るという趣があります、お
羨
(
うらや
)
ましい境涯です」
大菩薩峠:41 椰子林の巻
(新字新仮名)
/
中里介山
(著)
「きんらい酒にあてられて、
起
(
き
)
つねにおそし。
臥
(
ふ
)
して
南山
(
なんざん
)
を見て、旧詩をあらたむ」
巷説享保図絵
(新字新仮名)
/
林不忘
(著)
垣の向うに隣りの娘が
覗
(
のぞ
)
いてる訳でもなければ、
南山
(
なんざん
)
に親友が奉職している次第でもない。超然と
出世間的
(
しゅっせけんてき
)
に利害損得の汗を流し去った心持ちになれる。
草枕
(新字新仮名)
/
夏目漱石
(著)
もつともそれは僕の知人なども出征してゐた為めもあるかも知れない。この知人は
南山
(
なんざん
)
の
戦
(
たたかひ
)
に
鉄条網
(
てつでうまう
)
にかかつて戦死してしまつた。鉄条網といふ言葉は
今日
(
こんにち
)
では誰も知らない者はない。
本所両国
(新字旧仮名)
/
芥川竜之介
(著)
南山
(
なんざん
)
や
幽篁
(
ゆうこう
)
とは
性
(
たち
)
の違ったものに相違ないし、また
雲雀
(
ひばり
)
や菜の花といっしょにする事も出来まいが、なるべくこれに近づけて、近づけ得る限りは同じ観察点から人間を
視
(
み
)
てみたい。
草枕
(新字新仮名)
/
夏目漱石
(著)
“南山”の解説
南山(ナムサン)は、大韓民国の首都ソウル特別市の旧市街の南に位置する海抜262メートルの山。
南山ケーブルカーで頂上まで登れる。また、階段もあり、途中の見晴台から市内を望むことができる。
韓国の諺に“南山から石を転すと、金氏の家でなければ李氏の家に入る”というものがある。韓国人の姓に「金」と「李」が特に多いことを示すものである。
(出典:Wikipedia)
南
常用漢字
小2
部首:⼗
9画
山
常用漢字
小1
部首:⼭
3画
“南山”で始まる語句
南山城
南山巡狩録
南山役
南山松竹
南山皇胤譜