南山なんざん)” の例文
何ぞかん、俗に混じて、しかもみづから俗ならざるには。まがきに菊有り。ことげん無し。南山なんざんきたれば常に悠々。寿陵余子じゆりようよし文を陋屋ろうをくに売る。
淵明だってねん年中ねんじゅう南山なんざんを見詰めていたのでもあるまいし、王維も好んで竹藪たけやぶの中に蚊帳かやを釣らずに寝た男でもなかろう。
草枕 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
なぜならば、曹軍の敗滅急なりと見て、ここに渭南いなんの県令丁斐ていひという者が、南山なんざんの上から牧場の牛馬を解放して、一散に山から追い出したのである。
三国志:08 望蜀の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
南山なんざん白額はくがくのとらがでて村の人をくらう、長橋ちょうきょうの下に赤竜せきりゅうがでて村の人をくらう、いま一つは……」
ああ玉杯に花うけて (新字新仮名) / 佐藤紅緑(著)
そして風雅人鑑賞家として知られた孫七峯そんしちほうとつづきあいで、七峯は当時の名士であった楊文襄ようぶんじょう文太史ぶんたいし祝京兆しゅくけいちょう唐解元とうかいげん李西涯りせいがい等と朋友ともだちで、七峯のいたところの南山なんざん
骨董 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
三十七八年役に南山なんざんを攻撃した兵卒の中に、敵の砲弾を受けながら、高梁かうりやんの畑で糞をしたものがある。新聞には大胆な振舞として書いてあつた。あれも矢張神経の刺戟である。
金貨 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
その罪南山なんざんの竹をつくすも数えがたしと云うような、漢学者流の文句をゴテ/″\書てやった。
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
「天下の風雲をよそにして、菊を南山なんざんるという趣があります、おうらやましい境涯です」
大菩薩峠:41 椰子林の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
「きんらい酒にあてられて、つねにおそし。して南山なんざんを見て、旧詩をあらたむ」
巷説享保図絵 (新字新仮名) / 林不忘(著)
垣の向うに隣りの娘がのぞいてる訳でもなければ、南山なんざんに親友が奉職している次第でもない。超然と出世間的しゅっせけんてきに利害損得の汗を流し去った心持ちになれる。
草枕 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
もつともそれは僕の知人なども出征してゐた為めもあるかも知れない。この知人は南山なんざんたたかひ鉄条網てつでうまうにかかつて戦死してしまつた。鉄条網といふ言葉は今日こんにちでは誰も知らない者はない。
本所両国 (新字旧仮名) / 芥川竜之介(著)
南山なんざん幽篁ゆうこうとはたちの違ったものに相違ないし、また雲雀ひばりや菜の花といっしょにする事も出来まいが、なるべくこれに近づけて、近づけ得る限りは同じ観察点から人間をてみたい。
草枕 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)