下總しもふさ)” の例文
新字:下総
下總しもふさだ——宇佐美家の所領へ行つて訊いたら、みんな一ぺんにわかるだらう。丁度今百姓一が起きかけて、ブスブスいぶつてゐるさうだ」
忍び出夜にまぎれて千住の方へと行たりけり此左仲はもと下總しもふさ銚子在てうしざいの百姓の悴なりしが江戸へ出て御旗本を所々しよ/\渡り侍士さぶらひを勤め夫より用人奉公ほうこう
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
晴れたり曇つたりする日の右手の車窓には梅雨つゆの雲の間に筑波の山が下總しもふさの青田の上、野州やしうの畑の上から美しいその姿を見せ、左方の日光つゞきの山々はなほ薄雲の中に隱れてゐて
華厳滝 (旧字旧仮名) / 幸田露伴(著)
ぐわつ二十三にちには、幻翁げんおう望生ぼうせいおよの三にん出掛でかけたが、此時このときまた幻翁げんおう完全くわんぜんなる小土瓶せうどびんを一し、望生ぼうせい砧形きぬたがた小角器せうかくき用法ようはふ不明ふめい類品るゐひん下總しもふさ余山よやまよりづ)と朝貌式あさがほしき完全土器くわんぜんどきとを
晴さうとしたが——宇佐美家は放つて置いても潰れる。下總しもふさの領地の百姓一はこのまゝぢや濟むまいから、それよりその有難いお墨附を種に、お孃さんを
げ其上喜八が命乞いのちごひ首尾しゆびすまし申べし其間そのあひだ必ず/\御兩人とも短見はやまり給ふなと異見いけんをなし妻にも能々よく/\云付いひつけおき長屋の者を頼みて平兵衞は早々さう/\調度したくをなし下總しもふさの古河へぞおもむきける
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
新三郎はまだ下總しもふさから歸つて來ないので、用事は足りませんが、奧へ一寸挨拶をして、何の氣もなくお勝手へ下がらうとすると、日頃仲のよくない石原の利助が
蟲が知らせると言ふものか、妙に里心が付いて歸つて來て見ると、丁度下總しもふさの知行所へ急使を立てたばかりといふところ、家の中はえくり返るやうな騷ぎです。
お光が二年前に下總しもふさの在所から兩親に死に別れて江戸へ出て來た時は——打ち明けて申上げると、私と一緒になるやうにと、親類達の指圖だつたさうで御座います。
「それは間違ひない。下總しもふさへ行つた伜と納戸役の外には、一人も外出してゐた者はなかつた筈だ」
下總しもふさの古河へ下男の權八を追はせたのは、三輪の萬七の指圖ですが、本當に主人を殺して金を取つたのなら、自分の故郷へノメノメ歸るかどうか、それもあやしいものです。
かまやしません。今のうちににらみかして置かないと、増長してどんな事をするか解りやしません。それに旦那樣は下總しもふさの御領地の方へお出かけださうぢや御座いませんか」
「權八と言つて、二十九になる男でございます。下總しもふさの古河の者で、十年前から奉公し、まことに實直に勤めて居りました。主人をあやめるやうな、そんな男ではございません」
「ところが主人徳右衞門は、用事があつて下總しもふさに出かけ、林三郎は留守をして居たんです」
喜太郎は下總しもふさから出て來て一代に身上を築き上げ、表通りへ手頃の荒物屋の店を持つたほどの働き者で、片輪でも變人でもなく、男振りも滿更ではないのですが、商賣と蓄財ちくざいの外には興味がなく
下總しもふさのさる小藩の御用金を引受け、財政の窮乏を救ふ一助ともなつたといふ理由で、江戸御留守居の相談役を仰せ付けられ、苗字帶刀を許されて、綿鍋わたなべ善兵衞と名乘ることになり、そのお祝はまた
下總しもふさ屋の喜太郎は?」