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万延
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まんえん
ふりがな文庫
“
万延
(
まんえん
)” の例文
このお爺さんこそ
安政
(
あんせい
)
の末から
万延
(
まんえん
)
、
文久
(
ぶんきゅう
)
、
元治
(
がんじ
)
、慶応へかけて江戸
花川戸
(
はなかわど
)
で早耳の三次と謳われた捕物の名人であることがわかった。
早耳三次捕物聞書:01 霙橋辻斬夜話
(新字新仮名)
/
林不忘
(著)
雲雀
(
ひばり
)
は死んだように黙ってしまい、菜の花も青い麦も雪の下だった。
万延
(
まんえん
)
元年のこの日は、江戸表だけの天変地異ではなかったのである。
旗岡巡査
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
日本の女の社会的地位は、サア・オルコツクの日本に
駐剳
(
ちうさつ
)
した時代、即ち
嘉永
(
かえい
)
万延
(
まんえん
)
以来あまり進歩してはゐないらしい。
日本の女
(新字旧仮名)
/
芥川竜之介
(著)
吉左衛門と、隣家の
金兵衛
(
きんべえ
)
とが、
二人
(
ふたり
)
ともそろって木曾福島の役所あてに退役願いを申し出たのも、その年、
万延
(
まんえん
)
元年の夏のはじめであったからで。
夜明け前:01 第一部上
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
咸臨丸
(
かんりんまる
)
は、
万延
(
まんえん
)
元
(
がん
)
(一八六〇)
年
(
ねん
)
一
月
(
がつ
)
十九
日
(
にち
)
、
使節
(
しせつ
)
たちをのせた
船
(
ふね
)
よりも
一足
(
ひとあし
)
さきに
浦賀
(
うらが
)
を
船出
(
ふなで
)
しました。
福沢諭吉:ペンは剣よりも強し
(新字新仮名)
/
高山毅
(著)
▼ もっと見る
十世弥忠太は栄喜の嫡子で、後才右衛門と改名し、番方を勤め、
万延
(
まんえん
)
元年に病死した。十一世弥五右衛門は才右衛門の二男で、後
宗也
(
そうや
)
と改名し、
犬追物
(
いぬおうもの
)
が
上手
(
じょうず
)
であった。
興津弥五右衛門の遺書
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
咸臨丸はその時(
万延
(
まんえん
)
元年正月、一八六〇)遣米使節を迎えにきた米国汽走軍艦「ボーハタン」より一足先に品川を発って三十七日かかってサンフランシスコへ直航した。
咸臨丸その他
(新字新仮名)
/
服部之総
(著)
……去年、詰り
万延
(
まんえん
)
元年三月、江戸幕府の大老井伊
直弼
(
なおすけ
)
が桜田門外に斬られてから、ながいあいだ
鬱勃
(
うつぼつ
)
としていた新しい時代の勢が、押えようのない力で
起
(
た
)
ちあがって来た。
春いくたび
(新字新仮名)
/
山本周五郎
(著)
年も
万延
(
まんえん
)
元年と改まるころには、日に日に横浜への移住者がふえた。寛斎が海をながめに神奈川台へ登って行って見ると、そのたびに港らしいにぎやかさが増している。
夜明け前:01 第一部上
(新字新仮名)
/
島崎藤村
(著)
そうして見ると、抽斎の生れた文化二年は艮斎が江戸に入る前年で、十六歳であった。これは艮斎が
万延
(
まんえん
)
元年十一月二十二日に、七十一歳で歿したものとして推算したのである。
渋江抽斎
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
抽斎歿後の第二年は
万延
(
まんえん
)
元年である。
成善
(
しげよし
)
はまだ四歳であったが、
夙
(
はや
)
くも浜町中屋敷の津軽
信順
(
のぶゆき
)
に近習として仕えることになった。
勿論
(
もちろん
)
時々機嫌を伺いに出るに
止
(
とど
)
まっていたであろう。
渋江抽斎
(新字新仮名)
/
森鴎外
(著)
“万延”の意味
《固有名詞》
日本の元号の一つ。安政の次で、文久の前。1860年3月18日から1861年2月19日までの期間のこと。
(出典:Wiktionary)
万
常用漢字
小2
部首:⼀
3画
延
常用漢字
小6
部首:⼵
8画
“万”で始まる語句
万
万一
万歳
万事
万年青
万更
万斛
万々
万屋
万端