一向ひたすら)” の例文
「慣れない人はよく迷いますよ」と言われた嬢の言葉に全く恐縮して、一向ひたすらに好意を謝するのみであった。午後九時頃であったろう。
春の大方山 (新字新仮名) / 木暮理太郎(著)
渠は腕組をして、一向ひたすらに他の事を思ふまいと、詩の事許りに心を集めて居たが、それでも時々、ピクリピクリと痙攣ひきつけが顔に現れる。
病院の窓 (新字旧仮名) / 石川啄木(著)
一 王を尊び民をあはれむは學問の本旨。然らば此天理を極め、人民の義務にのぞみては一向ひたすらなんに當り、一同の義を可事。
遺教 (旧字旧仮名) / 西郷隆盛(著)
今通っている山中の笹の葉に風が吹いて、ざわめきみだれていても、わが心はそれにまぎれることなくただ一向ひたすらに、別れて来た妻のことをおもっている。
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
夫婦は、さらに三日の祈願を籠めて、一向ひたすら納受を願ふと、一子は授けてやるが、三つになつた年に、父母のどちらかゞ死なゝければならぬと言ふのである(一段目)。
愛護若 (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
どうかしてこの自分の家出が、単なる忘恩の行為でなしに、父母からそむき去り墨染の衣に身をやつしても一向ひたすら道を急ぐあのあわれむべき発心者のように見られたいと願った。
桜の実の熟する時 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
障子をあけて人々がやって来ても、右の子熊は、それらの人々を避けるのでもなく、怖れ走るのでもなく、やっぱり一向ひたすらに米友に向って、じゃれついて離れる模様はありません。
大菩薩峠:30 畜生谷の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
おのれも心満ちたらひて一向ひたすらに釣り居けるが、やがて潮満ち来て「きゃたつ」を余すこと二尺足らずとなりし時、舟子舟を寄せ来りて、今日はこれまでなり、又の日の潮にと云ふ。
鼠頭魚釣り (新字旧仮名) / 幸田露伴(著)
つれなしとても一向ひたすらのかき絶えは世にあるならひと諦らめもある物を、憎くき男の地位にほこりて何時いつまで我れを弄ばんとや、父は山師の汚名をきたれど未だ野幇間の名は取らざりし
暗夜 (旧字旧仮名) / 樋口一葉(著)
債権者であるか、商売仲間であるか、とにかくそういう者を避けるために不意に倉地が姿を隠さねばならぬらしい事は確かだった。それにしても倉地の疎遠は一向ひたすらに葉子には憎かった。
或る女:2(後編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
郎女は、夜が更けると、一向ひたすら、あの音の歩み寄つて来るのを待つやうになつた。
死者の書:――初稿版―― (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
と御声ひくゝ四壁あたりを憚りて、口数すくなき伯母君がおぼはすることありてか、しみじみとさとし給ひき、我れ初めは一向ひたすら夢の様に迷ひて何ごとゝも思ひ分かざりしが、漸々やうやう伯母君の詞するどく。
雪の日 (新字旧仮名) / 樋口一葉(著)
郎女は、一向ひたすら、あの音の歩み寄って来るおそろしい夜更けを、待つようになった。おとといよりは昨日、昨日よりは今日という風に、其跫音あしおとが間遠になって行き、此頃はふつに音せぬようになった。
死者の書 (新字新仮名) / 折口信夫(著)
おもふまじ/\あだこゝろなく兄様あにさましたしまんによもにくみはしたまはじよそながらもやさしきおことばきくばかりがせめてもぞといさぎよく断念あきらめながらかずがほなみだほゝにつたひて思案しあんのよりいとあとにどりぬさりとてはのおやさしきがうらみぞかし一向ひたすらにつらからばさてもやまんを
闇桜 (新字旧仮名) / 樋口一葉(著)