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とゞけ
後には
子供一人、
其時が
戸長様の
帳面前年紀六ツ、
親六十で
児が
二十なら
徴兵はお
目こぼしと
何を
間違へたか
届が五
年遅うして
本当は十一、それでも
奥山で
育つたから
村の
言葉も
碌には
知らぬが
悪い奴ゆえ此の儘まいっても仔細ありません、
届にも及びますまい、
却って
斬徳ぐらいのものでしょう
召抱へ先是にて
可なり
間に合べし然らば
片時も早く京都へ立越べしと此旨を御城代へ
屆ける使者は赤川大膳是を
郡奉行へ
屆ければ
早速檢使の役人も來り
改め見しに間違もなき
動靜成ば名主始め
村中は
口書を
申達せらるゝに伊豆守殿も
捨置れずと御
評議の上小石川
御館へ此段申上られける
此時中納言綱條卿
思召るゝ樣奉行越前
病氣屆致せしは自ら紀州表へ
取調に參し者か
但は家來を