貞任さだとう)” の例文
「なら、胡というのは、どうだ。胡馬こば北風にいななくの胡だ。しんを亡ぼすものは胡なり、の胡だ。これなら、貞任さだとう宗任むねとうの子孫らしいぞ」
胡堂百話 (新字新仮名) / 野村胡堂(著)
そのうちとうとう貞任さだとうがかなわなくなって、うまくびけかえして、げて行こうとしますと、義家よしいえうしろから大きなこえ
八幡太郎 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
後冷泉天皇の御宇ぎょうにあって、奥州の酋長阿部あべ頼時よりときが、貞任さだとう宗任むねとうの二子と共に、朝廷に背いて不逞を逞ましゅうした、それを征したのが源頼義よりよし
剣侠 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
貞任さだとう連歌れんが義家よしいえがそを追はずなりたりといふ事、宗任むねとうが梅の花の歌を詠みて公卿くげたちを驚かしたりといふ事など、事実の有無は疑はしけれど、もしこの種類の事ありとせば
人々に答ふ (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
という八幡はちまん太郎と貞任さだとうとの連歌のごときも、考えてみればただ単なる言葉のしゃれで、とうてい弓につがえてせまわる勇士の頭の中に、浮かんでくるような文句ではない。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
貞任さだとう宗任むねとうを攻めたとき、味方の旗色が悪くなったので、頼義は敵陣に向い、「これは、神火なり」と火を放つと、風向きが変り、火は貞任の城を焼き払い、頼義の軍は大勝したのである。
鎌倉は源氏発祥はっしょうの地と申してもよい。——後冷泉院の御宇ぎょう安倍貞任さだとうを討ちしずめられた後、祖先源頼義朝臣あそんは、相模守となって鎌倉に居を構えられた。——長子の陸奥守むつのかみ義家朝臣もおられた。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
とすぐにかみをつけました。これはいくさ場所ばしょがちょうど衣川ころもがわのそばの「ころもたて」というところでしたから、義家よしいえ貞任さだとう
八幡太郎 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)
これで義家よしいえもいかにも貞任さだとうがかわいそうになって、その日はそのまま見逃みのがしてかえしてやりました。
八幡太郎 (新字新仮名) / 楠山正雄(著)