知盛とももり)” の例文
渡海屋銀平実はたいら知盛とももり落人おちゅうどながら、以前が以前だから、実名を名乗りたくて、寧ろウズ/\している。僕も丁度それだ。
勝ち運負け運 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
平家方からは、左大将重盛が三千余騎で、陽明ようめい待賢たいけん郁芳ゆうほうの三門を固め、宗盛、知盛とももり以下の諸将は、西南の守備に就いた。
負ったままやって来て、いよいよいけなくなってここでぶッくらけえったんじゃありませんかしらん。船弁慶の知盛とももりの霊でもあるめえし、抜身を
平賀源内捕物帳:萩寺の女 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
と、中国から九州へまで、源軍の大将として下ったが、むしろ彼を、手につばして待っていた平家方の謀将知盛とももりのために翻弄ほんろうされて、その年の末頃には
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
団十郎の知盛とももりが能衣裳のような姿で薙刀なぎなたを持って揚幕から花道にあらわれ、きっと舞台を見込んで、また引返して揚幕へはいって、再びするするとあらわれて来る。
明治劇談 ランプの下にて (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
ただ「船弁慶ふなべんけい」で知盛とももりの幽霊が登場し、それがきらきらする薙刀なぎなたを持って、くるくる回りながら進んだり退いたりしたその凄惨せいさんに美しい姿だけが明瞭めいりょうに印象に残っている。
銀座アルプス (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
只〻數多き公卿くげ殿上人てんじやうびとの中にて、知盛とももり教經のりつねの二人こそ天晴あつぱれ未來事みらいことある時の大將軍と覺ゆれども、これとても螺鈿らでん細太刀ほそだち風雅ふうがを誇る六波羅上下の武士を如何にするを得べき。
滝口入道 (旧字旧仮名) / 高山樗牛(著)
絶叫するような二位殿の悲痛な声の前では、今は詮議せんぎも忘れて、一座の人々はしずまり返ってしまった。ややあって新中納言知盛とももりが、口を開いた。
「錨を背負って飛び込んだ知盛とももりまでいるね。死体捜索の結果不思議にも大将株の丈けが揚ったと見える」
ぐうたら道中記 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
知盛とももり維盛これもり忠度ただのり敦盛あつもりなど一門の大家族が、各〻の別荘へ、みな避暑におもむいていたが、秋風と共に、遊び飽きない姫や公達輩きんだちばらも、ようやく、都へもどって来た頃だった。
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
嫡子ちやくし小松の内大臣重盛卿、次男中納言宗盛、三位中將知盛とももりを初めとして、同族の公卿十餘人、殿上三十餘人、其他、衞府諸司數十人、平家の一族を擧げて世には又人なくぞ見られける。
滝口入道 (旧字旧仮名) / 高山樗牛(著)
壇の浦の知盛とももり教經のりつねのやうな心持で大童おほわらはになつて戰つた。
近松半二の死 (旧字旧仮名) / 岡本綺堂(著)
左団次の知盛とももりが髪を乱して舞台に踊るのである。
銀座アルプス (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
一寸見廻しただけでも、長男重盛しげもりは、内大臣ないだいじん左大将さだいしょう、次男宗盛むねもりは、中納言ちゅうなごん右大将、三男知盛とももり三位さんみの中将、孫の維盛これもり四位しいの少将といった具合である。
「——途方もないいくさだよ。今朝から逃げて来るのはみな平家の兵ばかりじゃ。今もな、新中納言知盛とももり様、それと重衡しげひら様なんどが、みじめな姿で、八条のほうへ逃げて行ったぞよ」
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
羽左衛門は船幽霊の知盛とももりをつとめた。
明治劇談 ランプの下にて (新字新仮名) / 岡本綺堂(著)
生田の森の大将軍であった新中納言知盛とももりは、部下の勢が逃げ去ったり、討ちとられたりして、息子の武蔵守知章ともあきらと侍の監物けんもつ太郎頼賢よりかたの主従三騎になってしまった。
知盛とももり〕清盛の三男、宗盛の次弟。権中納言(あるいは新中納言)黄門どのとも呼ぶ。——一子知章ともあきらは生田附近の合戦で父に代って戦死。なお知忠ともただという幼童と一女が妻と共に同陣している。
随筆 新平家 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
参議正三位皇太后宮大夫兼修理大夫加賀越中守平朝臣経盛、従二位行中納言兼左兵衛督征夷大将軍平朝臣知盛とももり、従二位行権中納言兼肥前守平朝臣教盛のりもり、正二位行権大納言兼出羽陸奥按察使平朝臣頼盛よりもり