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率
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ゐ
ふりがな文庫
“
率
(
ゐ
)” の例文
かれ汝はその族のありの
悉
(
ことごと
)
率
(
ゐ
)
て來て、この島より
氣多
(
けた
)
の
前
(
さき
)
まで、みな
列
(
な
)
み伏し度れ。ここに吾その上を蹈みて走りつつ讀み度らむ。
古事記:02 校註 古事記
(その他)
/
太安万侶
、
稗田阿礼
(著)
榛軒は友人門弟等を
率
(
ゐ
)
て往いて遊んだ。其時門弟の一人が柏を負うて従つた。一行は茶屋
青柳
(
あをやぎ
)
に入つて藝者小房等を呼んで飲んだ。
伊沢蘭軒
(新字旧仮名)
/
森鴎外
(著)
歸りて之を煮んとする時、ロオザが兄なる人我等の住める
草寮
(
こや
)
に憩ひて、我目の
開
(
あ
)
くべきを
見窮
(
みきは
)
め、我を拿破里に
率
(
ゐ
)
て往きぬ。手術は功を奏せり。
即興詩人
(旧字旧仮名)
/
ハンス・クリスチャン・アンデルセン
(著)
笹葉にうつや霰の たし/″\に
率
(
ゐ
)
ねてむ後は、人
議
(
ハカ
)
ゆとも(允恭記)
日本文章の発想法の起り
(新字旧仮名)
/
折口信夫
(著)
この旅は妻と子を
率
(
ゐ
)
ついとまなき旅ならずけり遊ぶとて来つ
海阪
(新字旧仮名)
/
北原白秋
(著)
▼ もっと見る
*ヘープァイストス神工の
許
(
もと
)
より美麗の武具を
率
(
ゐ
)
て
イーリアス:03 イーリアス
(旧字旧仮名)
/
ホーマー
(著)
つと見ればつまを
率
(
ゐ
)
てかの
一点鐘
(旧字旧仮名)
/
三好達治
(著)
「同八年帰于江戸。再神田岩井町代地に僑居す。」瑞英は文化八年二十六歳にして、妻常と長男雄太郎とを
率
(
ゐ
)
て江戸に還つた。
伊沢蘭軒
(新字旧仮名)
/
森鴎外
(著)
ここに軍を
罷
(
や
)
めて
退
(
そ
)
きましき。かれ大前小前の宿禰、その輕の太子を捕へて、
率
(
ゐ
)
てまゐ出て獻りき。その太子、捕はれて歌よみしたまひしく
古事記:02 校註 古事記
(その他)
/
太安万侶
、
稗田阿礼
(著)
驪
(
くろうま
)
に
騎
(
の
)
りて、手に長き槍めきたるものを執れるが、こは水牛を
率
(
ゐ
)
て返るとき、そは驅り集むる具なりとぞ。げにこゝらの水牛の多きことその
幾何
(
いくばく
)
といふことを知らず。
即興詩人
(旧字旧仮名)
/
ハンス・クリスチャン・アンデルセン
(著)
この春も巡礼講を
率
(
ゐ
)
て行くとあるじの僧はあわただしまた
風隠集
(新字旧仮名)
/
北原白秋
(著)
軍馬並びに兵車
率
(
ゐ
)
て、近きに寄りて亡びたる
イーリアス:03 イーリアス
(旧字旧仮名)
/
ホーマー
(著)
榛軒は人を派して捜索し、遂に常庵の蕨駅の娼家にあるを知つて
率
(
ゐ
)
て帰つた。そして書斎の次の三畳の間に居らせた。数日の後、常庵は又逃げた。
伊沢蘭軒
(新字旧仮名)
/
森鴎外
(著)
かれその御子を
率
(
ゐ
)
て遊ぶ
状
(
さま
)
は、尾張の相津
一
なる
二俣榲
(
ふたまたすぎ
)
を
二俣小舟
(
ふたまたをぶね
)
に作りて、持ち上り來て、
倭
(
やまと
)
の
市師
(
いちし
)
の池
二
輕
(
かる
)
の池
三
に浮けて、その御子を
率
(
ゐ
)
て遊びき。
古事記:02 校註 古事記
(その他)
/
太安万侶
、
稗田阿礼
(著)
公子夫婦は我を
率
(
ゐ
)
て
拿破里
(
ナポリ
)
に歸らんために、猶カプリに留まること二日なりき。
即興詩人
(旧字旧仮名)
/
ハンス・クリスチャン・アンデルセン
(著)
たゞ六艘の舟及びたゞ僅少の人を
率
(
ゐ
)
て
イーリアス:03 イーリアス
(旧字旧仮名)
/
ホーマー
(著)
鴿
(
はと
)
率
(
ゐ
)
つつ祷らまし、帆をしぼれ。
邪宗門
(新字旧仮名)
/
北原白秋
(著)
率
常用漢字
小5
部首:⽞
11画
“率”を含む語句
相率
軽率
率直
引率
率寝
真率
兜率天宮
率土
率爾
率先
確率
輕率
蓋然率
能率
率行
率寢
大胆率直
兜率天
統率
眞率
...