物懶ものう)” の例文
中毒と覚しい痕もなければ、皺の深みに隠れている、針先ほどの傷もなく、両眼もみひらいてはいるが、活気なく物懶ものうそうに濁っている。
人魚謎お岩殺し (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
犬は宏子を見ると、寝そべったまま、房毛の重い尻尾を物懶ものうそうにふった。その途端女中部屋から、声をあわせて笑声が爆発した。
雑沓 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
とそのどてらを着た中年の世渡り巧者らしいのが葉子の顔をうかがい窺いいうと、事務長は少し屈託らしい顔をして物懶ものうげに葉子を見やりながら
或る女:1(前編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
それはあたかも霖雨のじめじめしい沼のような物懶ものうい生活が今日も今日もと続いたのだ。
愛と認識との出発 (新字新仮名) / 倉田百三(著)
それをへだてて上野の森は低く棚曳たなびき、人や車は不規則にいかにも物懶ものうくその下の往来に動いているが、正面にそびえる博覧会の建物ばかり、いやに近く、いやに大きく、いやに角張かどばって
曇天 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
そして、その周囲まはり物懶ものうげな、動かし難い単調が再びそこをおほひ尽してしまつた。
新らしき祖先 (新字旧仮名) / 相馬泰三(著)
物懶ものうさに連れて、いつとはなし今自分の座って居る丁度此の処に彼の体の真中頃を置いて死に掛った叔父の事を思い出して居た。
追憶 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
そうしているうちに、ジジイッと、機械部の弾条ぜんまい物懶ものうげな音を立てると同時に、塔上の童子人形が右手を振り上げた。
黒死館殺人事件 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
そのくせ表面うわべでは事務長の存在をすら気が付かないように振る舞った。ことに葉子の心を深く傷つけたのは、事務長の物懶ものうげな無関心な態度だった。
或る女:1(前編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
金モールが出て行くと、看守は物懶ものうそうな物ごしで、テーブルの裏の方へ手を突込み鍵束をとり出した。そして、私のいる第一房の鉄扉をあけ
刻々 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
異様なリズムを帯びて、唱い廻すような左枝の声が、ふと杜絶えたかと思うと、その、とろんとした物懶ものうそうな眼に、なにやら真剣なものが輝きだしてきた。
地虫 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
葉子は、今まで続けていた沈黙の惰性で第一口をきくのが物懶ものうかったし、木村はなんといい出したものか迷う様子で、二人ふたりの間には握手のまま意味深げな沈黙が取りかわされた。
或る女:1(前編) (新字新仮名) / 有島武郎(著)
星一つない空から地面の隅々まで、重苦しく水気を含んだ空気が一杯に澱んで、街路樹の葉が、物懶ものうそうに黙している。
日は輝けり (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
が、その様子は、どうやら耳をらしているように思われた。刻々チクタクと刻む物懶ものうげな振子の音とともに、地底からとどろいて来るような、異様な音響が流れ来たのであった。
黒死館殺人事件 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
晩餐のテーブルへつきながら伸子の食慾までそこなうような物懶ものうさで、鼻声を出すフランシーヌ。
道標 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
そして不断に物懶ものういガサガサした音を発していて、その皮には、幾条かの思案げなしわが刻まれてゆき、しだいにうめき悩みながら、あの鬼草は奇形化されてしまうのであった。
白蟻 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
そういう時、ああ、きょうも済んだという安心と一緒に、又あしたも今日とおんなじ日が来るのかという何か物懶ものうい感情が湧くことがある。毎日、毎日。そして一年、二年。
私たちの社会生物学 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
と言った横蔵の唇が、いつになく物懶ものうげであったように、それから数日後になると、果たしてステツレルの出現と合わしたかのごとく、城内には、悪疫えやみの芽がえはじめてきた。
紅毛傾城 (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
夜になると、商売が単に商売——物品と金銭との交換——とはいえない面白さ、気の張りを持たせる同じ店頭に、今は日常生活の重さ、微かな物懶ものうさ、苦るしさなどが流れている。
粗末な花束 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
まさ子は、半分起き上った床の上で、物懶ものうそうに首を廻し、入って来る娘を見た。
白い蚊帳 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
カイゼルの格子縞の襤褸ぼろを火が走った。機械オルガンは国歌を鳴らした。青い薄い煙が、初冬の午後の透明な、やや物懶ものうい空に静かに昇った。微かにきなくさい匂いがあたりにただよった。
伸子 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)
タブ……タブ……物懶ものうく海水が船腹にぶつかり、波間にかぶ、木片、油がギラギラ浮いていた。彼方に、修繕で船体を朱色に塗りたくられた船が皮膚患者のように見えた。鴎がそのほばしらのまわりを飛んだ。
(新字新仮名) / 宮本百合子(著)
物懶ものうげに訊いた。
伊太利亜の古陶 (新字新仮名) / 宮本百合子(著)