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ふりがな文庫
“
津輕
(
つがる
)” の例文
新字:
津軽
その翌日、私は妹とともに再び
津輕
(
つがる
)
海峽を越えわたつて、青森、
仙臺
(
せんだい
)
と妹の旅疲れを休めながら、十七日の朝、五十日近い北國の旅を終へて、東京へ歸りついた。
処女作の思い出
(旧字旧仮名)
/
南部修太郎
(著)
津輕
(
つがる
)
は今林檎王國の榮華時代である。弘前の城下町を通ると、ケラを被て目かご背負うた
津輕女
(
つがるめ
)
も、草履はいて炭馬をひいた津輕男も、林檎喰ひ/\歩いて居る。
熊の足跡
(旧字旧仮名)
/
徳冨蘆花
(著)
今故郷の
津輕
(
つがる
)
の海を見たとて貧血な景色だと映る位の事で、特別な興味も無からうと思ひながら、G——公園の海水浴場へこれから行くといふ友達一家の人達と、A——市に滯在中の或る日
地方主義篇:(散文詩)
(旧字旧仮名)
/
福士幸次郎
(著)
先
(
ま
)
づは
滯
(
とゞこほ
)
りなく
大阪
(
おほさか
)
へ——それから
豐前
(
ぶぜん
)
へ
𢌞
(
まは
)
つて、
中津
(
なかつ
)
の
米
(
こめ
)
を
江戸
(
えど
)
へ
積
(
つ
)
んで、
江戸
(
えど
)
から
奧州
(
あうしう
)
へ
渡
(
わた
)
つて、
又
(
また
)
青森
(
あをもり
)
から
津輕藩
(
つがるはん
)
の
米
(
こめ
)
を
託
(
ことづか
)
つて、一
度
(
ど
)
品川
(
しながは
)
まで
戻
(
もど
)
つた
處
(
ところ
)
、
更
(
あらた
)
めて
津輕
(
つがる
)
の
材木
(
ざいもく
)
を
積
(
つ
)
むために
印度更紗
(旧字旧仮名)
/
泉鏡花
、
泉鏡太郎
(著)
「大きな
聲
(
こゑ
)
では申されぬが、
津輕
(
つがる
)
越中守樣ぢや」
銭形平次捕物控:025 兵粮丸秘聞
(旧字旧仮名)
/
野村胡堂
(著)
▼ もっと見る
右の通り
御轉任
(
ごてんにん
)
にて八代將軍吉宗公と申上奉つる時に三十三歳なり
寶永
(
はうえい
)
四年
紀州家
(
きしうけ
)
御相續より
十月
(
とつき
)
目にて將軍に任じ給ふ
御運
(
ごうん
)
目出度
(
めでたき
)
君にぞありける
是
(
これ
)
に
依
(
よつ
)
て江戸町々は申すに
及
(
およば
)
ず東は
津輕
(
つがる
)
外
(
そと
)
が
濱
(
はま
)
西は
鎭西
(
ちんぜい
)
薩摩潟
(
さつまがた
)
まで
皆
(
みな
)
萬歳
(
ばんざい
)
を
大岡政談
(旧字旧仮名)
/
作者不詳
(著)
東京を立つてから山形、
船川港
(
ふなかはかう
)
、
弘前
(
ひろさき
)
、青森、
津輕
(
つがる
)
海峽を越えて
室蘭
(
むろらん
)
と寄り道しながら、眼差す
苫小牧
(
とまこまい
)
へと着いたのが七八日頃、それから九月へかけてのまる一ヶ月ほどを妹夫婦の家に
暮
(
くら
)
した。
処女作の思い出
(旧字旧仮名)
/
南部修太郎
(著)
津輕
(
つがる
)
海峽を四時間に駛せて、余等を青森から函館へ運んでくれた梅ヶ香丸は、新造の美しい船であつたが、船に弱い妻は到頭醉うて了うた。一夜函館埠頭の
朴
(
きと
)
旅館に休息しても、まだ頭が痛いと云ふ。
熊の足跡
(旧字旧仮名)
/
徳冨蘆花
(著)
津
常用漢字
中学
部首:⽔
9画
輕
部首:⾞
14画
“津輕”で始まる語句
津輕女
津輕藩