才人さいじん)” の例文
かれ其時そのとき服裝なりにも、動作どうさにも、思想しさうにも、こと/″\當世たうせいらしい才人さいじん面影おもかげみなぎらして、たかくび世間せけんもたげつゝ、かうとおもあたりを濶歩くわつぽした。
(旧字旧仮名) / 夏目漱石(著)
学問もない、見識もない、自分の事業に関する経験や智能のない、大局の見えない彼等と比べて見ては、俺はたしかに独歩どくほの出来る才人さいじんであるとも云ひ得られる。
瘢痕 (新字旧仮名) / 平出修(著)
朝鮮にはもと才人さいじん禾尺かしゃくなどと云って、一種の賤まれた人民があったが、世宗王の時彼らの区別を廃し、これを普通民と同じくする為に、これを「白丁はくてい」と呼ばしめた。
最早三船の才人さいじんもなければ、小督こごう祇王ぎおう祇女仏御前ほとけごぜんもなく、お半長右衛門すらあり得ない。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
その頃、帝は美女を求めていたので、王はかの少女を献上し、且つその子細を申し立てると、帝はそれを宮中にれて才人さいじんの列に加えた。それから三日の後に、京兆の役人が奏上した。
雜俳ざつぱい楊弓やうきう、香道から將棋しやうぎまで、何一つ暗からぬ才人さいじんで、五年前先代から身上を讓られた時は、あの粹樣すゐさまでは丸屋の大身代も三年とはつまいと言はれたのを、不思議に減らしもせず
麗娟りけん宮中きうちううたときは、當代たうだい才人さいじん李延年りえんねんありてこれす。
唐模様 (旧字旧仮名) / 泉鏡花泉鏡太郎(著)
才人さいじん禾尺かしゃくの称を新たに白丁はくていと改めても、その「新白丁」が依然としてもとの才人・禾尺であっては、その改称に何の効果もないのであった。我が「新平民」の称また然りだ。