我儕われら)” の例文
夏は我儕われらも家なンか厄介物を捨てゝしもうて、野に寝、山に寝、日本国中世界中乞食してまわりたい気も起る。夏は乞食の天国である。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
そうして我儕われらが折角骨折って小石を積み上げて居ると、無慈悲の鬼めが来ては唯一棒に打崩す。ナポレオンが雄図ゆうとを築くと、ヲートルルーが打崩す。
地蔵尊 (新字新仮名) / 徳冨蘆花(著)
我儕われらの主は、わが軛は易くわが荷はかろしとのたまひて、そのつとめの易く、その荷の軽く、その我儕に為さしむるところの極めて簡易なるを示したまへり。
主のつとめ (新字旧仮名) / 北村透谷(著)
起きよ、我儕われら往くべし。我をわたすもの近づきたり、此如かくいへるとき十二の一人ひとりたるユダつるぎと棒とを持ちたる多くの人人とともに祭司のをさと民の長老としよりもとより来る。
接吻 (新字旧仮名) / 斎藤茂吉(著)
久しぶりに旧師の飛衛を訪ねた時、しかし、飛衛はこの顔付を一見すると感嘆かんたんしてさけんだ。これでこそ初めて天下の名人だ。我儕われらのごとき、足下あしもとにも及ぶものでないと。
名人伝 (新字新仮名) / 中島敦(著)
我儕われらエジプトの地に於いて、肉の鍋の側に坐り、あくまでにパンをくらいし時に、エホバの手によりて、死にたらばよかりしものを、」(十六章三)あの頃、死んだ奴は仕合せさ
風の便り (新字新仮名) / 太宰治(著)
(2)旧約全書創世記第一章第二十六—二十七節、「神いい給いけるは我儕われらかたどりて我儕のかたちのごとく我儕人を造り……と、神その像のごとくに人を創造つくりたまえり。すなわち神の像の如くに之を造り云々うんぬん
黒猫 (新字新仮名) / エドガー・アラン・ポー(著)
彼れが超俗の資は我儕われらの同じく認識する所たりき。
北村透谷君 (新字旧仮名) / 山路愛山(著)
而して我儕われらが折角骨折って小石を積み上げて居ると、無慈悲の鬼めが来ては唯一棒に打崩す。ナポレオンが雄図ゆうときずくと、ヲートルルーが打崩す。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
我儕われらエジプトの地において、肉の鍋の側に坐り、あくまでにパンを食いし時に、エホバの手によりて、死にたらばよかりしものを。汝はこの曠野あらのに我等を導きいだして、この全会を
惜別 (新字新仮名) / 太宰治(著)
やがて強盗谷、強盗泉あり。岩壁の下、草地くさぢ数弓すきう、荷を卸して駱駝臥し、人憩ふ。我儕われらの馬も水のみて行く。やがてまた十数頭の駱駝りんを鳴らし驢馬の人これを駆り来るを見る。荷は皆あんず
我儕われらの如き、足下にも及ぶものでないと。
名人伝 (旧字旧仮名) / 中島敦(著)
我儕われらの行末は如何なるのであろう? 何処に落つく我儕の運命であろう? 斯く思いつゝ、二人は黙って歩いた。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
賽の河原は乱脈である。慈悲柔和にこにこした地蔵様が出て来て慰めて下さらずば、賽の河原は、実になさけ無い住み憂い場所ではあるまいか。旅は道づれ世は情、我儕われらは情によって生きることが出来る。
地蔵尊 (新字新仮名) / 徳冨蘆花(著)