恵林寺えりんじ)” の例文
旧字:惠林寺
通しであったか、宿次ぎであったか、それさえもわからず、ようやく甲斐国東山梨、松里村の名刹めいさつ恵林寺えりんじの門前に着いた宇津木兵馬。
大菩薩峠:21 無明の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
快川かいせんは、伊那丸いなまるの落ちたのを見とどけてから、やおら、払子ほっすころもそでにいだきながら、恵林寺えりんじ楼門ろうもんへしずかにのぼっていった。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
乾徳山けんとくざん恵林寺えりんじの住職、大通智勝国師快川は、信玄帰依きえの名僧であって、信玄は就いて禅法を学びまた就いて兵法を修めた。
神州纐纈城 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
忍剣にんけんが気のついたクロとは、そもなにものかわからないが、かれのすがたは、まもなく、変りはてた恵林寺えりんじあとへあらわれた。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
長禅寺は甲州では恵林寺えりんじに次ぐの関山派かんざんはの大寺であります。ここに能登守が訪ねて来ることは不思議とするに足りないことであります。
大菩薩峠:14 お銀様の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
恵林寺えりんじほのおのなかからのがれたときいて、とおくは、飛騨ひだ信濃しなのの山中から、この富士ふじ裾野すそのたいまで、足にかけてさがしぬいていたのだ。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
恵林寺えりんじの僧堂では、若い雲水たちが集って雑談にふけっておりました。彼等とても、真面目まじめな経文や禅学の話ばかりはしていないのであります。
大菩薩峠:15 慢心和尚の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
或る人はまた、夜陰やいん、小泉家から出た二挺の駕籠かごが、恵林寺えりんじまで入ったということを見届けたというものもありました。
そのなかでも重要な事柄は、彼が恵林寺えりんじにしのんで直接、耳ぶくろに入れて来た甲軍の出兵に関する機密だった。
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それはまた信玄がふかく心契しんけいしていた道の師、恵林寺えりんじ快川和尚かいせんおしょうが筆になるものとは、どんな者でも知っていた。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
その辺でかたきの当りがついたのか。松里村には名刹めいさつ恵林寺えりんじがあって、そこは兵馬に有縁うえんの地。
大菩薩峠:21 無明の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
三平は、かしこまってそこを退さがり、やがて恵林寺えりんじの門前から一頭の駒を解いて、どこへともなくむちを打って行った。
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
恵林寺えりんじの慢心和尚が、途轍とてつもない大きな卒塔婆そとばをかつぎ込んで、従者を一人もつれずに西の方へスタスタと歩いて行くのが、白日はくじつのことですから、すべての人が注目しないわけにはゆきません。
大菩薩峠:26 めいろの巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
けれど、年々その忌日には、恵林寺えりんじをはじめ諸山の法燈ほうとうは秘林の奥にゆらいで、万部経をみあげていた。
新書太閤記:05 第五分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
神尾の下屋敷から脱することを得たムク犬は、山へも逃げず、里へも逃げず、首に鎖と縄を引張ったまま只走ひたばしりに走って、塩山えんざん恵林寺えりんじの前へ来ると、直ぐにその門内へ飛び込んでしまいました。
悶々もんもんとやり場のない心を訴えようとしたのか、彼は、恵林寺えりんじ快川和尚かいせんおしょうを呼び迎えた。
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
恵林寺えりんじ師家しけ慢心和尚まんしんおしょうというのがあります。
大菩薩峠:15 慢心和尚の巻 (新字新仮名) / 中里介山(著)
信玄の帰依きえしている快川国師かいせんこくしが住む恵林寺えりんじであった。
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
恵林寺えりんじ側は、そのたびに、言を左右にして
新書太閤記:06 第六分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)