忌日きにち)” の例文
「待ちな、元三大師がんざんだいしの御神籤には忌日きにちがあるものだ。日も時も構わず、毎日御神籤を引くのは、いくら小娘でも変じゃないか、八」
この年の抽斎が忌日きにちの頃であった。小島成斎は五百に勧めて、なお存している蔵書の大半を、中橋埋地なかばしうめちの柏軒が家にあずけた。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
「そうそう、祖先の忌日きにちごとには、かならずあの菩提寺の庭を見た。——足利家代々の苔さびたおくつきに額ずいた後で」
私本太平記:01 あしかが帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
平「感心な奴だ、手前ぐらいな年頃には親の忌日きにちさえ知らずに暮らすものだに、親はと聞かれて涙を流すとは親孝行な奴じゃて、親父は此の頃亡くなったのか」
八月に入って泉太や繁の母親の忌日きにちが来た。学校も暑中休暇になった二人の子供は久しぶりで父と一緒に外出することを楽みにして、その前の晩から墓参りに行く話で持切った。
新生 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
老人は進の如き乖戻かいれいな男と好んで苦楽をともにしているような女が、言わばそのしゅうとめに当るものの忌日きにちを知って墓参りをするとは、そもそもどうしたわけであろう。そんな訳のあろうはずがない。
つゆのあとさき (新字新仮名) / 永井荷風(著)
今日は亡き父の忌日きにちである。父の黒川一民は松本藩士で儒官を勤めていた。
菊屋敷 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
おくりしにをつと忌日きにちもいつしか八年跡のそらとぞ過行すぎゆきける道之助今年ことし十歳に成けるに親は無とも子はそだつとやら母の手一ツにそだあげたる子ながらもうまれ付ての發明者はつめいものこと幼稚いとけなき心にも母が心盡こゝろづくしの程を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
被害者の忌日きにちの獄に仏華ぶつげなく春雨降りて静かに昏れし
遺愛集:02 遺愛集 (新字新仮名) / 島秋人(著)
「待ちな、元三大師の御籤おみくじには忌日きにちがあるものだ。日も時も構はず、毎日御神籤を引くのは、いくら小娘でも變ぢやないか、八」
数年前に大槻如電おおつきにょでんさんが浅草北清島町きたきよじまちょう報恩寺内専念寺にある重兵衛の墓にもうでて、忌日きにちに墓に来るものは河竹新七かわたけしんしち一人だということを寺僧に聞いた。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
秀吉が鹿之介の忌日きにちを忘れなかったということは、二人にとっても有難い心地がした。この人のためには死も惜しくないという気持を深めさせられた。
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
忌日きにちにさきだって、紫野大徳寺の天祐和尚てんゆうおしょうが京都から下向げこうする。年忌の営みは晴れ晴れしいものになるらしく、一箇月ばかり前から、熊本の城下は準備に忙しかった。
阿部一族 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
亡父ちちの野辺の送りも見ず、七々の忌日きにちも営んでいないのだ。陣中には、位牌いはいを持って歩いていた。
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
臨済寺には、今日、お館様をはじめ、重臣方が、雪斎和尚の忌日きにちとて、御参詣遊ばされておる。
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
壽阿彌は刀自のをさなかつた時、伊澤の家へ度々來た。僧侶としては毎月十七日にかさずに來た。これは此手紙の書かれた翌年、文政十二年三月十七日に歿した蘭軒の忌日きにちである。
寿阿弥の手紙 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
口ぐせに、彼のいうとおり、彼の居間の棚には、常に、伊勢守から受けた新陰流の印可と、四巻の古目録とが奉じてあり、忌日きにちには、膳を供えてまつることも忘れなかった。
宮本武蔵:03 水の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
寺には毎月一度もうで、親と夫との忌日きにちには別に詣でた。会計は抽斎の世にあった時から自らこれに当っていて、死にいたるまで廃せなかった。そしてその節倹の用意には驚くべきものがあった。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
母はもちろん、秀吉の心を知っているので、これも彼の前では、語ることなく、ただ忌日きにち命日めいにちには、そっとただ独りで、持仏堂には、花をあげて、坐るぐらいなものだった。
新書太閤記:11 第十一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)