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後図
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こうと
ふりがな文庫
“
後図
(
こうと
)” の例文
後図
(
こうと
)
をいかにすべきやなど考えているいとまもなかった。身は中国にあるが、
勃然
(
ぼつぜん
)
、心はすでに敵明智光秀へ向き直っていた。
新書太閤記:07 第七分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
徐
(
おもむ
)
ろに
後図
(
こうと
)
を策しても晩くはないと云ふ腹なので、中々あきらめてはゐないのだつたが、でもそんなことは、無論塚本に対しても
噫
(
おくび
)
にも出しはしなかつた。
猫と庄造と二人のをんな
(新字旧仮名)
/
谷崎潤一郎
(著)
わざと自動車に乗るのをさけて、あらかじめ日本橋のさるビルディングの七階に借りている、秘密の事務所に運び、そこへ
落着
(
おちつ
)
いた上、おもむろに
後図
(
こうと
)
の計をめぐらそうとしたのです。
奇談クラブ〔戦後版〕:11 運命の釦
(新字新仮名)
/
野村胡堂
(著)
それだけでなく、このさい佐渡の日野資朝と或る気脈を結んでおくには、絶好な機会とみて、じぶんの
後図
(
こうと
)
のためにも、考えついたことなのである。
私本太平記:03 みなかみ帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
徐
(
おもむ
)
ろに
後図
(
こうと
)
を策しても
晩
(
おそ
)
くはないと云ふ腹なので、中々あきらめてはゐないのだつたが、でもそんなことは、無論塚本に対しても
噫
(
おくび
)
にも出しはしなかつた。
猫と庄造と二人のをんな
(新字旧仮名)
/
谷崎潤一郎
(著)
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徐
(
おもむ
)
ろに
後図
(
こうと
)
を策しても
晩
(
おそ
)
くはないと云う腹なので、中々あきらめてはいないのだったが、でもそんなことは、無論塚本に対しても
噫
(
おくび
)
にも出しはしなかった。
猫と庄造と二人のおんな
(新字新仮名)
/
谷崎潤一郎
(著)
(そちひとりは、岐阜城へ
赴
(
おもむ
)
いて、この急変を家中に告げ、わが子の
三法師
(
さんぼうし
)
を守って、
後図
(
こうと
)
を善処してくれい)
新書太閤記:07 第七分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
と、一心機を転じて、しばしば大坂へも顔を見せ、
後図
(
こうと
)
をよろしくしたろうが、信雄、秀吉の単独講和あたりから、めったに、秀吉へ便りもよこしていない。
新書太閤記:11 第十一分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
北陸の
後図
(
こうと
)
一切をすまして、秀吉の戦捷軍が、長浜まで還ってきたのは、五月五日、
端午
(
たんご
)
の日だった。
新書太閤記:09 第九分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
籠城の説が、あだ討と変って、
後図
(
こうと
)
を誓った藩士は、その時、百二十人と数えられたものだった。
新編忠臣蔵
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
後図
(
こうと
)
の憂いにも万全を期し、やがて、総軍をひいて許都へ帰ってくると、
段煨
(
だんわい
)
、
伍習
(
ごしゅう
)
という二名の雑軍の野将が、私兵をもって、長安の
李傕
(
りかく
)
と
郭汜
(
かくし
)
を打ち殺したといって
三国志:04 草莽の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
それとも、織田家がしきりと
提盟
(
ていめい
)
を誘うてくるこの機会をつかんで、
後図
(
こうと
)
を計るべきだろうか。
新書太閤記:02 第二分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「事は、破れたが、敵にやぶれたわけではない。何とでも
後図
(
こうと
)
は考えられる。これしきの
蹉跌
(
さてつ
)
に、すぐメソメソするようなことで、ゆくゆく、宮方の三軍を指揮できようか」
私本太平記:04 帝獄帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
血迷えりと
嗤
(
わら
)
われましょう。——なおなお、ここには敗れても、坂本には御一族もあり、各地にやがてを待つ諸将の散在すること、必ずしも、
後図
(
こうと
)
の策なきではありません。
新書太閤記:08 第八分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
後図
(
こうと
)
の何をなすにしても、ひとまず本国へ立ち帰った上で——と、急に堺を去ったものの、地方の情勢は都会以上険悪であったし、山野には早くも
土寇
(
どこう
)
の出没もあるらしい。
新書太閤記:07 第七分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
じつは、ただいま
筑紫
(
つくし
)
表にある主君尊氏も、今夏か秋のころまでには、九州、四国、山陽のお味方をこぞッて、再び上洛のご予定にて、着々、
後図
(
こうと
)
をめぐらしておられまする。
私本太平記:11 筑紫帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
……そちたちが、生きてすることはなお果てなく多かろう。落ちてくれい。さあれ、途中の難もはかり知れぬが、生きるかぎり生きのびて、ふるさとの
後図
(
こうと
)
のために余生を尽せ
私本太平記:12 湊川帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
そしてなお
後図
(
こうと
)
の治安は治安として、自身は征馬を南へすすめていたのである。
三国志:04 草莽の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「いや、そこへは寄らぬ。あくまで女子供の巣は世の外にそっとしておきたい。……さし当って
後図
(
こうと
)
を立てるいとまもないが、大塔ノ宮の隠れおわす大和の
般若寺
(
はんにゃじ
)
へさして行こうと思う」
私本太平記:04 帝獄帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
そして練武研心、
後図
(
こうと
)
を抱いて、毎日、魏の空を睨まえない日はなかった。
三国志:11 五丈原の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
ほかでもない、法月弦之丞、きゃつをつけ廻して必ず討って取ることじゃ! 彼こそ昨夜の密話を残らず聞きおったに相違ない、生かしておいては
後図
(
こうと
)
の
妨
(
さまた
)
げ、大事の
破綻
(
はたん
)
を
醸
(
かも
)
そうも知れぬ。
鳴門秘帖:01 上方の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
が、和談といえ、深い
後図
(
こうと
)
の考えもあってのことぞ。いまは
屈
(
くっ
)
しても
末
(
すえ
)
に勝てば、負けではない。数日前、はや密かに四条、北畠の二名をここから落して大和へ走らせ、北陸へも、あらかじめ人を
私本太平記:12 湊川帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「では、この右馬介へ、その
後図
(
こうと
)
をなせとの仰せつけにござりますな」
私本太平記:03 みなかみ帖
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
後図
(
こうと
)
の策も終り、浜松——岡崎——清洲と、着々、予定の進出を
捗
(
はかど
)
ってきているのに、従来、
疾風迅雷
(
しっぷうじんらい
)
の早仕事ではしばしば世におどろかれてきた秀吉たるものが、なぜか、こんどは
出脚
(
であし
)
がにぶい。
新書太閤記:10 第十分冊
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
『——
後図
(
こうと
)
のことは、一先ず、
此方
(
このほう
)
の存意におまかせ下さるまいか』
新編忠臣蔵
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「そうだ、ひとまず、袁術の許へ身を寄せて
後図
(
こうと
)
を計ろう」
三国志:03 群星の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
「ひとまず、
河内郡
(
かだいぐん
)
に落ちのびて、
後図
(
こうと
)
を計るとしよう」
三国志:03 群星の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
後
常用漢字
小2
部首:⼻
9画
図
常用漢字
小2
部首:⼞
7画
“後”で始まる語句
後
後生
後退
後方
後悔
後姿
後家
後手
後日
後世