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にぢう
是は
廿四年の六月が
初刊であつたが、例の九号にも
及ばずして
又罷めて
了つたのです、
小栗風葉は
此の会員の
中から出たので、
宅に来たのは
泉鏡花が
先ですが
翌廿三年の七月になると、
未だ
妄執が
霽れずして、
又々江戸紫と
云ふのを出した、
是が九号の
難関を
踰へたかと思へば、
憐むべし、
其の
歳の
暮十二号にして、
又没落
広津と知つたのは、
廿一年の春であつたか、
少年園の
宴会が
不忍池の
長酡亭に
在つて、
其の
席上で
相識に
成つたのでした、
其頃博文館が
大和錦と
云ふ小説雑誌を出して
居て