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將軍家
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しやうぐんけ
蒙るとも
明朝は未明に登城に及び
直々將軍家に願ひ奉るより
外なしと思案を
極め家來を呼び出され
明朝は六時の御
太鼓を
相※に登城致す
間其用意いたすべしと云付けられたり
此處の
主も
多辨にや
咳勿躰らしくして
長々と
物語り
出ぬ、
祖父なりし
人が
將軍家の
覺え
淺からざりしこと、
今一
足にて
諸侯の
列にも
加へ
給ふべかりしを
不幸短命にして
病沒せしとか
痛むる
折柄將軍家の
御名代として
禁裏の御用にて當時
御老中酒井讃岐守殿中仙道
筋を上り道中諸願を取上
領主役人などの非義非道なることは
取調ぶるとのことにて明後日は
追分邊お泊りとの
噂を
皆々打寄只今御上使と御同道にて御登城有しは迚も御
存命覺束なし是は將軍の御手打か又は
詰腹か兎に角大岡の御家は今日限り
斷絶成べし行末如何成
事やらんと主の身の上より我
行末迄も案じやり歎に沈まぬ者もなし扨も
將軍家には