多摩川たまがわ)” の例文
東京都下でも多摩川たまがわ上流の山村、千葉茨城二県の沼沢しょうたく地方、または奥羽おうう越後えちごの一部などにも、りっぱな作品がいくつとなくのこっている。
母の手毬歌 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
わたくしは近年市街と化した多摩川たまがわ沿岸、また荒川あらかわ沿岸の光景から推察して、江戸川えどがわ東岸の郊外も、大方樹木は乱伐せられ、草は踏みにじられ
葛飾土産 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
これから二キロほど先の三軒茶屋さんげんぢゃやよりもうすこし先のところから始まって、多摩川たまがわの川っぷちまでの間に多分みつかるだろう、と教えてくれた。
一坪館 (新字新仮名) / 海野十三(著)
最初近いと聞いた多摩川たまがわが、家から一里の余もある。玉川上水すら半里からある。好い水の流れに遠いのが、幾度いくたびも繰り返えさるゝ失望であった。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
多摩川たまがわ二子ふたこの渡しをわたって少しばかり行くと溝口みぞのくちという宿場がある。その中ほどに亀屋かめやという旅人宿はたごやがある。
忘れえぬ人々 (新字新仮名) / 国木田独歩(著)
多摩川たまがわの渡し場。そこから川上に富士を仰ぎ見たこと。これは大師詣のみちすがらであったのだろう。
多摩川たまがわべりの寺内であゆを賞したときのことなど、私には忘れられない記憶となって残っている。
左千夫先生への追憶 (新字新仮名) / 石原純(著)
多摩川たまがわべりになった調布ちょうふの在に、巳之吉みのきちという若い木樵きこりがいた。その巳之吉は、毎日木樵頭さきやま茂作もさくれられて、多摩川の渡船わたしを渡り、二里ばかり離れた森へ仕事に通っていた。
雪女 (新字新仮名) / 田中貢太郎(著)
他人ひとは一生の春というこの若い盛りを、これはまた何として情ない姿だろう、項垂うなだれてじっと考えながら、多摩川たまがわ砂利の敷いてある線路を私はプラットホームの方へ歩いたが
駅夫日記 (新字新仮名) / 白柳秀湖(著)
わしはふもとの多摩川たまがわへ、水でもみにりるように、ななめにさがりかけたところだった。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
花を仕入れるため、多摩川たまがわの向岸まで行く用があったのである。まだ陽が出たばかりで、田畑たはたにさえ人影がなかった。
一坪館 (新字新仮名) / 海野十三(著)
雹の通る路筋みちすじはほゞきまって居る。大抵上流地から多摩川たまがわに沿うてくだり、此辺の村をかすめて、東南に過ぎて行く。既に五年前も成人おとな拳大こぶしほどの恐ろしい雹を降らした。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
こうして博士は、東京の西郊せいこうにある柿ガ岡病院にはいった。ここは多摩川たまがわに近い丘の上にあるしずかな病院であった。
超人間X号 (新字新仮名) / 海野十三(著)
西を見れば、茶褐色にこがれた雑木山の向うに、濃い黛色たいしょくの低い山が横長く出没して居る。多摩川たまがわの西岸をふちどる所謂多摩の横山で、川は見えぬが流れのすじ分明ぶんみょうに指さゝれる。
みみずのたはこと (新字新仮名) / 徳冨健次郎徳冨蘆花(著)
彼女は多摩川たまがわ眼下がんかに見下ろす、某病院の隔離病室かくりびょうしつのベッドの上で、院長の手厚い介抱かいほうをうけていた。
恐怖の口笛 (新字新仮名) / 海野十三(著)