外戚がいせき)” の例文
嘗て蘇我氏が、皇室の外戚がいせきとして権をほしいままにしたこと、上宮太子の御労苦の一半はその抑制にあったことに就ては私は前に述べた。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
元帝の外戚がいせきにあたる者で、許章きょしょうという寵臣ちょうしんがあった。これが国法の外の振舞いをしてしかたがない。諸葛豊は、その不法行為をにらんで
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
今は仮に外戚がいせきの姓を名乗る宇津木兵馬でありました。あれから四年目、兵馬は十六歳。再び道具を着ける。竜之助のは道場から借受けた道具。
外戚がいせきの姉だから、座敷へ招じてさかずきをかわし、大分いけて、ほろりと酔うと、誘えば唄いもし、促せば、立って踊った。
開扉一妖帖 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
外戚がいせきの祖父である大臣の遺産とか、永久に減るものと思われない多くのものが、どこへだれが盗んで行ったか、なくなったかもしれぬことになってしまって
源氏物語:47 橋姫 (新字新仮名) / 紫式部(著)
レーリーの血筋に科学的な遺伝があるとすればそれはこの外戚がいせきのヴィカース家から来ているらしい。
レーリー卿(Lord Rayleigh) (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
沖繩では王家の外戚がいせきの特に有力なものが、伝説として久しくこれを信じていた例もあるが、これも多分は斎宮さいぐうの職分が、王妃の手に移った変遷と関係しているのであろう。
年中行事覚書 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
さて景一光広卿をかいして御当家御父子とも御心安く相成りおり候。田辺攻たなべぜめの時、関東に御出おんいで遊ばされ候三斎公は、景一が外戚がいせきの従弟たる森三右衛門を使に田辺へ差立てられ候。
興津弥五右衛門の遺書 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
先君利与さまの外戚がいせき御内室ごないしつの甥御にあたられる北条数馬ほうじょうかずまどの、源次郎さまを廃して、おのれが十二万五千石の家督をとりたき下ごころがあり、伯父上土井美濃守どいみののかみと結托して
顎十郎捕物帳:10 野伏大名 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
門は地味な衡門かぶきもん。それが当節飛ぶ鳥を落す、将軍寵姫ちょうき外戚がいせき、土部三斎の住居であった。
雪之丞変化 (新字新仮名) / 三上於菟吉(著)
ご辺は天子の皇叔、此方もまた外戚がいせきの端にあるもの、なんで二人のあいだにいつわりをさし挟もう。今、明らかに、実を告げる。これを見てください
三国志:05 臣道の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
藤原氏の、外戚がいせきとしての勢望益々ますます盛んだった時代であるから、藤原氏との間に不如意の事もあったようである。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
これでは後援する外戚がいせきのないほうがかえって幸福が大きいとも見られ、き母君の藤壺ふじつぼ女御にょごが姫宮のために用意してあった数々の調度の上に、宮中の作物所つくりものどころとか
源氏物語:51 宿り木 (新字新仮名) / 紫式部(著)
従って、清洲きよす会議にも、このふたりは、単なる遺臣資格でなく、織田家の外戚がいせきとして列していたし、その折の誓約にも、連帯の責任を負っているわけである。
新書太閤記:10 第十分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
蘇我馬子は皇室に対しても、また太子御自身にとっても、最も血肉的に親しい外戚がいせきであり、それだけに彼一統の暴虐ぼうぎゃくを抑えることは容易ならざることだったに相違ない。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
外戚がいせきの人たちも輝かしい未来の希望を失ったことに皆悲観をして、だれもいろいろな形でこの世から逃避をしてしまい、公にも私にもたよりのない孤立の宮でおありになるのである。
源氏物語:47 橋姫 (新字新仮名) / 紫式部(著)
亡父君ちちぎみのご遺言とはあるが、江夏には兄上がいるし、新野には外戚がいせき叔父しゅくふ劉玄徳りゅうげんとくがいる。もしこのかみ叔父しゅくふがお怒りの兵を挙げて、罪を問うてきたら何とするぞ」
三国志:07 赤壁の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
重い外戚がいせきが背景になっていて、疑いもない未来の皇太子として世の人は尊敬をささげているが、第二の皇子の美貌びぼうにならぶことがおできにならぬため、それは皇家おうけの長子として大事にあそばされ
源氏物語:01 桐壺 (新字新仮名) / 紫式部(著)
国舅こっきゅうは、天子のご外戚がいせき、国家の大老と敬って、特に、おわかれのご挨拶に伺ったのに、門前払いとは、余りなお仕打ちではないか。何かこの馬騰に、ご宿意しゅくいでもおありでござるか」
三国志:05 臣道の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
これも藤原氏の悪い外戚がいせき政策をならったものと思われるが——わが妻の妹、建春門院からいでました高倉天皇を擁立ようりつし奉って、その高倉天皇の中宮に、じょの徳子をれ、ここに臣下でありながら
源頼朝 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
中国の豪勇日幡景親かげちかが主将として坐り、その軍監ぐんかんとして、毛利元就もとなり妾腹しょうふくのむすめむこ、上原元祐もとすけが彼をたすけているかたちだが、一方は毛利の外戚がいせき、一方は剛骨ごうこつな勇将、こうふたりが一城にあって
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)