この)” の例文
俺はそれを見たとき、胸がかれるような気がした。墓場をあばいて屍体をこのむ変質者のような残忍なよろこびを俺は味わった。
桜の樹の下には (新字新仮名) / 梶井基次郎(著)
他猴と異なり果よりも葉をこのみ、牛羊同然複胃あり。鼻梁びりょうやや人に近く、諸猴にすぐれて相好そうごう美し(ウットの『博物画譜』一)。
ひとかどの茶人のこのみでもあるかのように、煤竹すすだけ炭籠すみとり火箸ひばしはつつましく寄せてあるし、描板のうえには茶布巾ちゃふきんがきちんとたたみつけてある。
松のや露八 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
もともと、僕のこのみからして、あの亡霊の顔つくりに、沙翁の顔を引き写したのですが、それが廻転している、幡江の眼を誤らせたのでしょう。
オフェリヤ殺し (新字新仮名) / 小栗虫太郎(著)
六、武芸百般、武者にもポルカのこのみあり。ちょうど二週間目の朝、ナポレオンはポピノに連れられて闘牛学校から三人のいるクウルス街の馬宿までもどって来た。
京中で、此恵美屋敷ほど庭をこのんだ家はないと言ふ。門は左京二条三坊に、北に向つて開いて居るが、主人家族の住ひは南を広くけて広々とした山斎やまが作つてある。
死者の書:――初稿版―― (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
鹿を山へ放つと他の木はそうではないが鹿は特にこのんでツバキの木の皮を食うのである。
植物記 (新字新仮名) / 牧野富太郎(著)
乙は末広ながら甲に比して狭く、その線条あらき上ひびわれ多く刺はなし、その肉煙草の味あり、喫烟家このくらう。方言これをショボシと称う。
あの方が壮盛わかざかりに、棒術をこのんで、今にも事あれかしと謂った顔で、立派なよろいをつけて、のっしのっしと長い物をいて歩かれたお姿が、あれを見ていて、ちらつくようだなど
死者の書 (新字新仮名) / 折口信夫(著)
右の歌、蛇を悪魔とせしは、耶蘇ヤソ教説に同じ。ありのみと言い掛けた山梨姫とは、野猪が山梨をこのむにや、識者の教えをつ。
さう言へばあの方が壮盛わかざかりに、矛使ほこゆけをこのんで、今にも事あれかしと謂つた顔で、立派なよろひをつけて、のつし/\と長い物をいて歩いたお姿が、ちらつくやうだなどゝ、相槌をうつ者も出て来た。
死者の書:――初稿版―― (新字旧仮名) / 折口信夫(著)
蒙古人古来馬肉を食い、殊にその腐肉をこのみ、また馬乳で酒を作った事は支那人のほかにルブルキスやマルコ・ポロやプルシャワルスキ等の紀行にくわし。
かつ食物のこのみ甚だすぐれ、食物十分な時はむやみに食わず、ただし餓ゆる時は随分汚物をも食う、肉店に鼠群が入る時牛の頸や脛を顧みず、最上の肉ばかり撰み食うとあって
馬は浮流草をこのめばとて浮流草を与えしも、馬ただ涙を垂れて法を聴くのみ、少しも草を食う意なき様子、天下すなわちその不世出の比丘たるを知り、馬がその恩を解したから馬鳴めみょう菩薩とづけ