古稀こき)” の例文
夫れ春水杏坪共によはひ古稀こきを超へたり、頼氏固より長寿也、襄にして自愛せば其五十三齢に猶十年若くは二十年を加へ得べかりし也。
頼襄を論ず (新字旧仮名) / 山路愛山(著)
御夫妻おふたりの喜の字と、古稀こきと、金婚式と、再修シェークスピヤ四十巻完訳のお祝いのことばかりがうれしくて念頭に離れなかった。
古い暦:私と坪内先生 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
上の伏見屋の金兵衛が古稀こきの祝いを名目に、村じゅうへのうるおいのためとして、四俵の飯米を奮発したぐらいでは、なかなか追いつかない。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
「おいのう。何もかも和殿わどののお蔭で、このようによい年を迎えさせて貰うておる。年齢としは覚えぬものというが、いつかこの身も古稀こきを一つ越えましたわいの」
新書太閤記:09 第九分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
つまり、一国の正義なぞといふものは古稀こきの老人の生きてゐる間には変らない方がうそだ。おれも清末に同じ事をやつて来た。あいつはあいつで大いにやるがいゝ。
南京六月祭 (新字旧仮名) / 犬養健(著)
そこの長火ばちの向こうに古稀こきの老体とは見えぬがんじょうな体躯たいくをどっしりと横すわりにさせていたものでしたから、右門はごめんとばかり上がっていきました。
父は左衞門茂頼もちよりとて、よはひ古稀こきに餘れる老武者おいむしやにて、壯年の頃より數ヶ所の戰場にて類稀たぐひまれなる手柄てがらを顯はししが、今は年老たれば其子の行末を頼りに殘年を樂みける。
滝口入道 (旧字旧仮名) / 高山樗牛(著)
それからずつと月日が立つて、父は還暦を過ぎ古稀こきをも過ぎた。父は上山町のとある店先で、感に堪へたといふ風で、蓄音機の喇叭ラツパから伝つてくる雲右衛門くもゑもんの浪花節を聞いてゐたことがある。
念珠集 (新字旧仮名) / 斎藤茂吉(著)
人間、六十七十になると若い時分の朋輩ほうばいは多く幽明境ゆうめいさかいことにする。古稀こきという言葉は争い難い統計から出ている。生き残りの意味だ。僕はお祖父さんが年に数回青山斎場へ出頭するのを知っている。
親鳥子鳥 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
北斎は嘉永二年に死し広重は安政五年の悪疫にたおれ、国芳は文久元年を以て世を去るや、江戸の浮世絵は元治元年古稀こきの長寿を保ちし国貞の死去と共にその終局を告げしとなすも不当には非ざるべし。
江戸芸術論 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
私は本年古稀こきである。おのずから古稀の記念ともなったわけである。
五百五十句 (新字旧仮名) / 高浜虚子(著)
とげ翌朝泉岳寺へ引取けるに大勢の見物は雲霞うんかの如く忽ち四方に評判聞えけりこゝに庄左衞門がいもうと美麗びれいにして三味線みせんなどよくひくゆゑ品川の駿河屋何某のもとへ縁付けるに庄左衞門が父十兵衞は古稀こきに近くこしは二重に曲居まがりゐるを
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
まあ、おれもめずらしく気分のいい日が続くし、古稀こきの祝いのお礼にもまだ行かなかったし、そう思って、ふるい友だちの顔を見に行って来たよ。おれもへぼくなった。
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
けれど考えてみると、私も間もなく古稀こきといわれる年齢になるらしい。人が疑うのは当然だった。
道のべの延命地蔵えんめいじぞう古稀こきの春
六百句 (新字新仮名) / 高浜虚子(著)
その年の正月にはおくればせながら父も古稀こきの祝いを兼ねて、病中世話になった親戚しんせき知人のもとへしるしばかりの蕎麦そばを配ったほど健康を回復した人である。でも、吉左衛門の老衰は争われなかった。
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)