兵衛ひょうえ)” の例文
旧字:兵衞
甚太夫じんだゆう主従は宿を変えて、さらに兵衛ひょうえをつけ狙った。が、その四五日すると、甚太夫は突然真夜中から、烈しい吐瀉としゃを催し出した。
或敵打の話 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
「さては、成田兵衛ひょうえの小せがれだな」介は、もう許せないというように、太刀のつかをにぎって、笑い声のしたかやの波へ躍って行った。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
奥さまおこよ様のご父君松坂兵衛ひょうえ様とおっしゃるおかたが、国もと新発田の溝口みぞぐち藩に、やはりご祐筆ゆうひつとして長らくお仕えでござりましたゆえ
小鳥の好きな兵衛ひょうえは明日の朝のるのに片肌ぬいで干鰕えびをしごいていた。
荻吹く歌 (新字新仮名) / 室生犀星(著)
親王がた、高官たちもたか使いのたしなみのある人は、野に出てからの用にきれいな狩衣かりぎぬを用意していた。左右の近衛このえ、左右の衛門えもん、左右の兵衛ひょうえに属した鷹匠たかじょうたちは大柄な、目だつ摺衣すりぎぬを着ていた。
源氏物語:29 行幸 (新字新仮名) / 紫式部(著)
四に、岡崎兵衛ひょうえ
丹下左膳:01 乾雲坤竜の巻 (新字新仮名) / 林不忘(著)
一行四人は兵衛ひょうえ妹壻いもうとむこ浅野家あさのけの家中にある事を知っていたから、まず文字もじせき瀬戸せとを渡って、中国街道ちゅうごくかいどうをはるばると広島の城下まで上って行った。
或敵打の話 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
兵衛ひょうえ。そのほうの終始変らない忠誠は忘れはおかぬぞ。そのほうなくば、今日の還幸は見ることもできなかったろう。回天の業も夢に終っていたかもしれぬ」
左右に分けられたのである。梅壺方は左で、平典侍へいてんじ、侍従の内侍、少将の命婦などで、右方は大弐だいにの典侍、中将の命婦、兵衛ひょうえの命婦などであった。皆世間から有識者として認められている女性である。
源氏物語:17 絵合 (新字新仮名) / 紫式部(著)
「はアて? ……。千早、金剛では、あの小勢で数万の寄手よせてをさえ、寄せつけなかった楠木兵衛ひょうえじょうが、今日はなんとしたことか。……いつもの正成ともおもわれぬ」
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
するとそろそろ秋が立つ頃になって、やはり松平家まつだいらけの侍に不伝流ふでんりゅうの指南をしている、恩地小左衛門おんちこざえもんと云う侍の屋敷に、兵衛ひょうえらしい侍のかくまわれている事が明かになった。
或敵打の話 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
要するに、成田兵衛ひょうえという者の家庭は知らないが、家庭の罪に違いない。全盛の世には、思いあがらせて育て、没落する時には、ねじけ者に作ってしまったものだろう。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
兵衛ひょうえ”なる官職名だけはあるが、それは名だけのものにすぎない。いわば一個の山家侍だ。
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
もとの主人、成田兵衛ひょうえさまも、宇治川の戦で、何かまずいことがあってから、御一門のお覚えもよからず、また、御子息の寿童丸じゅどうまる様は、次の、源氏討伐のいくさに、元服して初陣したはいいが
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「……やれ兵衛ひょうえ、よく見えたの。思えばまた、よくも再会しえたものよな」
「まこと、古今に例もないことです、破格なお沙汰じゃ。ご当家としても、大きなほまれ、武家としては、冥加みょうがこの上もないお仕合わせではあるまいか。……兵衛ひょうえ(正成)。ありがたくおうけなされい」
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「そちだけは、ここを去って、河内の楠木ノ兵衛ひょうえに会うて来い」
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ほかに、内庭ないていに、近衛このえ。外門に、兵衛ひょうえの各兵部があった。
平の将門 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そこへたった今、探題の郎党小串おぐし兵衛ひょうえじょうが来て
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「おう、兵衛ひょうえじょうか」
私本太平記:07 千早帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「いや、兵衛ひょうえじょう
私本太平記:08 新田帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)