修理しゅり)” の例文
修理しゅりのこの逆上は、少からず一家中の憂慮する所となった。中でも、これがために最も心を労したのは、家老の前島林右衛門りんえもんである。
忠義 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
この間、沓野くつの村のお帰りに立ち寄られた象山先生——あの松代まつしろの佐久間修理しゅり殿じゃ、そのお方が、媒人なこうどしてとらせるともいうておられる。
銀河まつり (新字新仮名) / 吉川英治(著)
しばた修理しゅりのすけどのがさきにたって塀に手をかけ、ひた/\と乗りこんで来られましたので、ごいんきょもいまはこれまでとおぼしめされ
盲目物語 (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
「同じ年十二月、岩沼(田村右京)さまの御子息、修理しゅり宗永さまが右京太夫に任ぜられ、右京さまは隠岐守おきのかみとなられた」
小田原修理しゅり、山隅九平くへい、その他。抜身ぬきみやり、刀。中には仰山に小具足をつけたるもあり。大勢。
天守物語 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
ひとしくこれ津軽家の藩士で、柳島附の目附から、少しく貞固さだかたに遅れて留守居に転じたものがある。平井氏ひらいうじ、名は俊章しゅんしょうあざな伯民はくみん小字おさなな清太郎せいたろう、通称は修理しゅりで、東堂とうどうと号した。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
兼ての内存と符合致ししきりに西洋周遊の念差起り、去秋長崎表へ渡来の魯西亜ロシア船へ身を托すかまたは漁船を雇い渡海すべしと九州筋遊歴の積りにて修理しゅり方へ暇乞いに罷り越し候処
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
すなわち一人は薩摩さつまの大領、島津修理しゅり太夫のお側用人、猪飼市之進いかいいちのしんその人であり、もう一人は毛利大膳太夫だいぜんだゆうの家老、宍戸備前ししどびぜんその人であり、もう一人は山内土佐守の家老、桐間蔵人きりまくらんどその人であり
娘煙術師 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
更衣の家のほうは修理しゅりの役所、内匠寮たくみりょうなどへ帝がお命じになって、非常なりっぱなものに改築されたのである。もとから築山つきやまのあるよい庭のついた家であったが、池なども今度はずっと広くされた。
源氏物語:01 桐壺 (新字新仮名) / 紫式部(著)
修理しゅりは、越中守が引きとったあとで、すぐに水野監物けんもつに預けられた。これも中の口から、平川口へ、青網あおあみをかけた駕籠かごで出たのである。
忠義 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
管領かんりょうの細川も松永弾正だんじょうも三好修理しゅりも、みな彼の手にかかっていたものだし、わけて禁中の御信任もあつく、余暇を施薬院せやくいんの業に尽し、また後輩のために学舎を設け
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
佐久間修理しゅり方へ入門、西洋砲術をも修業致し、その後浪人の身分に相成り候えば、かねて御為筋の儀を存じ量り、かつは旧主の恩義もこれ有り、かたがた非常の功を立つべしと心掛け候処
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
林右衛門りんえもんの立ち退いた後は、田中宇左衛門が代って、家老を勤めた。彼は乳人めのとをしていた関係上、修理しゅりを見る眼が、おのずからほかの家来とはちがっている。
忠義 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
「鎌倉最後の探題、赤橋修理しゅりすけ英時ひでとき(北条英時)どのが御自害の地はここだったな」
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それかあらぬか、今朝から城内へ通った人々では、一族の孫六入道逍遥軒まごろくにゅうどうしょうようけんをはじめ、穴山梅雪あなやまばいせつ仁科信盛にしなのぶもり、山県三郎兵衛昌景まさかげ、内藤修理しゅり昌豊まさとよ小幡信定おばたのぶさだ、小山田備中守などの譜代などがあった。
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
すぐ林佐渡と、佐久間修理しゅりの二人へ、旨を達しておいた。
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)