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施薬院
ふりがな文庫
“施薬院”のいろいろな読み方と例文
読み方
割合
せやくいん
91.7%
せやくゐん
8.3%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
せやくいん
(逆引き)
寧楽朝
(
ならちょう
)
の世の盛りを
偲
(
しの
)
ばせる元林院
址
(
あと
)
とか、光明皇后が浴舎を建てて千人の
垢
(
あか
)
を去りたもうた悲田院
施薬院
(
せやくいん
)
の
址
(
あと
)
などもあるが、それも今は
宮本武蔵:03 水の巻
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
城内には
施薬院
(
せやくいん
)
のやうなものを
設
(
もう
)
けて、領内のあらゆる名医がそこに詰めあひ、いかなる身分の者でも
勿論
(
もちろん
)
無料で診察して取らせる、投薬もして
遣
(
や
)
るといふのであるから
梟娘の話
(新字旧仮名)
/
岡本綺堂
(著)
施薬院(せやくいん)の例文をもっと
(11作品)
見る
せやくゐん
(逆引き)
当時の仏寺は、信仰の道場だけではなく、四天王寺の如きは、外交上の儀式にも用ゐられたし、学校でもあり、又寺内に、
悲田院
(
ひでんゐん
)
、療病院、
施薬院
(
せやくゐん
)
があつて、社会事業的施設でもあつたのである。
二千六百年史抄
(新字旧仮名)
/
菊池寛
(著)
施薬院(せやくゐん)の例文をもっと
(1作品)
見る
“施薬院”の解説
施薬院(やくいん / せやくいん)は、奈良時代に設置された令外官である庶民救済施設・薬園。この項目で説明。
施薬院(やくいん / せやくいん)は、聖徳太子が仏教の慈悲の思想に基づき、その地に薬草を栽培し、怪我や病気で苦しむ人を救うために四天王寺内に作ったと言われる施設。推古天皇元年(593年)、聖徳太子が大阪に日本最古の官寺・四天王寺を建立の際、四箇院の一つとして建てられたのが日本での最初とする伝承があり(四箇院とは施薬院に悲田院・敬田院・療病院を合せたものである)、社会福祉のはしりとして紹介される場合がある(収容型施設のはしりであることには間違いない。)。現在は大阪市天王寺区にある勝鬘院愛染堂が施薬院跡として、四天王寺病院(設置主体
四天王寺福祉事業団
)が施薬療病院として継承されている。
(出典:Wikipedia)
施
常用漢字
中学
部首:⽅
9画
薬
常用漢字
小3
部首:⾋
16画
院
常用漢字
小3
部首:⾩
10画
“施薬院”で始まる語句
施薬院秀成
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施薬
施療院
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