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一九
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いっく
ふりがな文庫
“
一九
(
いっく
)” の例文
緑雨の最後の死亡自家広告は
三馬
(
さんば
)
や
一九
(
いっく
)
やその他の江戸作者の死生を茶にした辞世と共通する江戸ッ子作者特有のシャレであって
斎藤緑雨
(新字新仮名)
/
内田魯庵
(著)
三人は
落語
(
はなし
)
の『おせつ』に出て来るので知っている
一九
(
いっく
)
の碑のまえに立った。——おもわず歎息するように田代はいった。
春泥
(新字新仮名)
/
久保田万太郎
(著)
朝帰りの威勢のいい
一九
(
いっく
)
にはいり込まれたのを
口開
(
くちあけ
)
に
京伝
(
きょうでん
)
、
菊塢
(
きくう
)
、それに版元の和泉屋市兵衛など、入れ代り立ち代り顔を見せられたところから
歌麿懺悔:江戸名人伝
(新字新仮名)
/
邦枝完二
(著)
衆人の面前も
憚
(
はばか
)
らず后を
嬈乱
(
じょうらん
)
した譚あり(『今昔物語』二十の七)、近くは
一九
(
いっく
)
の小説『
安本丹
(
あんぽんたん
)
』に、安本屋丹吉の幽霊が昔
馴染
(
なじみ
)
の娼妓、人の妻となり
十二支考:08 鶏に関する伝説
(新字新仮名)
/
南方熊楠
(著)
「お馬ヒンヒン」という語はいつ頃からあるかまだ確かめないが、
一九
(
いっく
)
の『東海道中膝栗毛』初編には「ヒイン/\」または「ヒヽヒン/\」など見えている。
駒のいななき
(新字新仮名)
/
橋本進吉
(著)
▼ もっと見る
古
(
いにしえ
)
の
蜀山
(
しょくさん
)
一九
(
いっく
)
は果して
如何
(
いか
)
なる人なりしか知らず。俳句界第一の滑稽家として世に知られたる
一茶
(
いっさ
)
は必ずまじめくさりたる人にてありしなるべし。(一月三十日)
墨汁一滴
(新字旧仮名)
/
正岡子規
(著)
私の家は商家だったが、旧家だったため、草双紙、読本その他
寛政
(
かんせい
)
、
天明
(
てんめい
)
の
通人
(
つうじん
)
たちの作ったもの、
一九
(
いっく
)
、
京伝
(
きょうでん
)
、
三馬
(
さんば
)
、
馬琴
(
ばきん
)
、
種彦
(
たねひこ
)
、
烏亭焉馬
(
うていえんば
)
などの本が沢山にあった。
明治十年前後
(新字新仮名)
/
淡島寒月
(著)
京伝
(
きょうでん
)
一九
(
いっく
)
春水
(
しゅんすい
)
種彦
(
たねひこ
)
を始めとして、
魯文
(
ろぶん
)
黙阿弥
(
もくあみ
)
に至るまで、少くとも日本文化の過去の誇りを残した人々は、皆おのれと同じようなこの日本の家の寒さを知っていたのだ。
妾宅
(新字新仮名)
/
永井荷風
(著)
山谷堀の船宿、
角中
(
かくちゅう
)
の亭主は、狂歌や
戯作
(
げさく
)
などやって、ちっとばかり筆が立つ。号を十
字舎
(
じしゃ
)
三九といっていたが、後に、十
返舎
(
ぺんしゃ
)
一九
(
いっく
)
と改めて、例の
膝栗毛
(
ひざくりげ
)
を世間に出した。
田崎草雲とその子
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
そこへ行くと、
一九
(
いっく
)
や
三馬
(
さんば
)
はたいしたものでげす。あの手合いの書くものには天然自然の人間が出ていやす。決して小手先の器用や
生
(
なま
)
かじりの学問で、でっちあげたものじゃげえせん。
戯作三昧
(新字新仮名)
/
芥川竜之介
(著)
一九
(
いっく
)
の『安本丹』てふ戯作に幽霊を打ち殺すと死ぬ事がならぬから打ち生かすかも知れぬとある。
十二支考:01 虎に関する史話と伝説民俗
(新字新仮名)
/
南方熊楠
(著)
一九
(
いっく
)
先生に会うの機縁
田崎草雲とその子
(新字新仮名)
/
吉川英治
(著)
想うに
一九
(
いっく
)
などの小説にしばしば繰り返された一話はこの仏語より来たんでないか、いわく猫を
畜
(
か
)
って名を
命
(
つけ
)
んと苦心し猫は猫だから猫と
号
(
な
)
づく、さて
攷
(
かんが
)
うると猫より強いから虎
十二支考:01 虎に関する史話と伝説民俗
(新字新仮名)
/
南方熊楠
(著)
“一九(
十返舎一九
)”の解説
十返舎 一九(じっぺんしゃ いっく、明和2年(1765年) - 天保2年8月7日(1831年9月12日))は、江戸時代後期の戯作者、絵師。『東海道中膝栗毛』の作者。本名は重田貞一(しげた さだかつ)、幼名は市九。通称に与七、幾五郎があった。酔翁、十返舎などと号す。
(出典:Wikipedia)
一
常用漢字
小1
部首:⼀
1画
九
常用漢字
小1
部首:⼄
2画
“一”で始まる語句
一
一人
一寸
一言
一時
一昨日
一日
一度
一所
一瞥