一九いっく)” の例文
緑雨の最後の死亡自家広告は三馬さんば一九いっくやその他の江戸作者の死生を茶にした辞世と共通する江戸ッ子作者特有のシャレであって
斎藤緑雨 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
三人は落語はなしの『おせつ』に出て来るので知っている一九いっくの碑のまえに立った。——おもわず歎息するように田代はいった。
春泥 (新字新仮名) / 久保田万太郎(著)
朝帰りの威勢のいい一九いっくにはいり込まれたのを口開くちあけ京伝きょうでん菊塢きくう、それに版元の和泉屋市兵衛など、入れ代り立ち代り顔を見せられたところから
歌麿懺悔:江戸名人伝 (新字新仮名) / 邦枝完二(著)
衆人の面前もはばからず后を嬈乱じょうらんした譚あり(『今昔物語』二十の七)、近くは一九いっくの小説『安本丹あんぽんたん』に、安本屋丹吉の幽霊が昔馴染なじみの娼妓、人の妻となり
「お馬ヒンヒン」という語はいつ頃からあるかまだ確かめないが、一九いっくの『東海道中膝栗毛』初編には「ヒイン/\」または「ヒヽヒン/\」など見えている。
駒のいななき (新字新仮名) / 橋本進吉(著)
いにしえ蜀山しょくさん一九いっくは果して如何いかなる人なりしか知らず。俳句界第一の滑稽家として世に知られたる一茶いっさは必ずまじめくさりたる人にてありしなるべし。(一月三十日)
墨汁一滴 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
私の家は商家だったが、旧家だったため、草双紙、読本その他寛政かんせい天明てんめい通人つうじんたちの作ったもの、一九いっく京伝きょうでん三馬さんば馬琴ばきん種彦たねひこ烏亭焉馬うていえんばなどの本が沢山にあった。
明治十年前後 (新字新仮名) / 淡島寒月(著)
京伝きょうでん一九いっく春水しゅんすい種彦たねひこを始めとして、魯文ろぶん黙阿弥もくあみに至るまで、少くとも日本文化の過去の誇りを残した人々は、皆おのれと同じようなこの日本の家の寒さを知っていたのだ。
妾宅 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
山谷堀の船宿、角中かくちゅうの亭主は、狂歌や戯作げさくなどやって、ちっとばかり筆が立つ。号を十字舎じしゃ三九といっていたが、後に、十返舎ぺんしゃ一九いっくと改めて、例の膝栗毛ひざくりげを世間に出した。
田崎草雲とその子 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そこへ行くと、一九いっく三馬さんばはたいしたものでげす。あの手合いの書くものには天然自然の人間が出ていやす。決して小手先の器用やなまかじりの学問で、でっちあげたものじゃげえせん。
戯作三昧 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
一九いっくの『安本丹』てふ戯作に幽霊を打ち殺すと死ぬ事がならぬから打ち生かすかも知れぬとある。
一九いっく先生に会うの機縁
田崎草雲とその子 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
想うに一九いっくなどの小説にしばしば繰り返された一話はこの仏語より来たんでないか、いわく猫をって名をつけんと苦心し猫は猫だから猫とづく、さてかんがうると猫より強いから虎