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ぞんじさふらふ
我等の
學校も
何時かは
眞の
詩人出づることあらん。その
時までは
矢張り『
日の
出を
見ろ』で
十分かと
存候。
鷸にありては
百羽掻也、僕にありては
百端書也月や
残んの
寝覚めの
空老れば人の
洒落もさびしきものと
存候、
僕昨今の
境遇にては、
御加勢と申す程の事もなりかね
候へども
かやうに
思迫め
候気にも
相成候上に、日毎に
闇の奥に引入れられ候やうに段々心弱り候へば、
疑も無く信心の
誠顕れ候て、此の
蓐に
就き候が元にて、はや永からぬ吾身とも
存候まま
唯今の此の気分苦く、何とも
難堪き様子にては、明日は今日よりも病重き事と
存候。
東京にも
歌人の
大家先生は
澤山あれど
我等のやうに
先生の
薫陶を
受け
大島小學校の
門に
學び
候ものならで、
能く
我等の
精神感情を
日の
出の
唱歌に
歌ひ
出し
得るもの
有るべきや、
甚だ
覺束なく
存候。
此命御前様に捨て候ものに
無御座候はば、外には此人の為に捨て
可申と
存候。