“しゅうそう”のいろいろな漢字の書き方と例文
カタカナ:シュウソウ
語句割合
秋霜46.4%
周桑10.7%
周倉7.1%
周匝7.1%
周帀3.6%
囚僧3.6%
宗装3.6%
愁壮3.6%
秋蒼3.6%
莠草3.6%
衆僧3.6%
鷲巣3.6%
(注) 作品の中でふりがなが振られた語句のみを対象としているため、一般的な用法や使用頻度とは異なる場合があります。
俳句季寄きよせの書には秋霜しゅうそうの題を設くといへども、その作例は殆んど見るなし。
俳諧大要 (新字旧仮名) / 正岡子規(著)
伊予の周桑しゅうそう郡でもエンコ花という者があって、エンコまたはエンコウはこの地方一帯に河童かっぱのことをそういう。即ち水のほとりの、河童でも出そうな土地に咲く花という意味である。
「何故の混乱か」と、関羽は、その中にいた周倉しゅうそうを見つけてただすと、周倉がいうには
三国志:06 孔明の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
これに三十歳前後の壮年の殉国者、しかも死に向ってはしるものの懐い及ぶ所ならんや。彼の婦人に関する用意の周匝しゅうそう懇篤なる、今日のいわゆる女子教育家をして、忸怩じくじたらしむるものなくんばあらず。
吉田松陰 (新字新仮名) / 徳富蘇峰(著)
画像が行なわれたのは同経に「まさに我が像を画き種々の瓔珞ようらくもて周帀しゅうそう荘厳しょうごんすべし」とあるによったものと思われる。
古寺巡礼 (新字新仮名) / 和辻哲郎(著)
見ると、それがうわさに聞く代官の萩原年景であったとみえます、馬上からはったと私をめつけ、——これッ囚僧しゅうそう! ——そうです囚僧と呼ぶのでした。
親鸞 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
いうまでもなく虚無僧の宗装しゅうそう、なんの意味でか、尺八までが添えてあった。
鳴門秘帖:05 剣山の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
さきに張苞ちょうほううしない、いままた、関興のに接して、孔明の落胆はいうまでもないことだが、その嘆きはかえって、この時の第六次出師すいしの雄図をしてさらにさらに、愁壮しゅうそうなものとしたことも疑われない。
三国志:11 五丈原の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
大和の浜人ひんじん来る。王城、鱸江、秋蒼しゅうそうと共に句作。
五百句 (新字旧仮名) / 高浜虚子(著)
鳥羽伏見戦の第一夜の印象を『莠草しゅうそう年録』の著者は、次ぎのように語っている。
鳥羽伏見の戦 (新字新仮名) / 菊池寛(著)
それがこんど二度目に、鎌倉の寺へ詣でて、夏木立につつまれた伽藍がらんのなかで、じっと、衆僧しゅうそう誦経ずきょうせみしぐれの音を耳に、眼をふさいでいたら、忽然こつぜん
梅里先生行状記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
青木可笑、字は陽春、鷲巣しゅうそうと号し後に樹堂じゅどうと改めた。尾張知多郡大高村長寿寺の住職。後に還俗して東京に来り大蔵省に出仕し明治十四年四月享年七十五を以て没した。
下谷叢話 (新字新仮名) / 永井荷風(著)