足助あすけ)” の例文
そうかと思うとこの大広間の、裏庭へ向いた縁の近くで、足助あすけ次郎重成しげなりと、川越播磨守かわごえはりまのかみとが下帯一つで、無粋な𦙾相撲すねずもうを取っていた。
あさひの鎧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
そのあいだに、天野あまの猪子いのこ足助あすけなどが、鉾先ほこさきをそろえてきたため、みすみす長蛇ちょうだいっしながら、それと戦わねばならなかった。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
父の耳目を欺かん其のことば、先頃其方が儕輩の足助あすけの二郎殿、年若きにも似ず、其方が横笛に想ひを懸け居ること、後の爲ならずとねんごろに潛かに我に告げ呉れしが
滝口入道 (旧字旧仮名) / 高山樗牛(著)
気がついたのは両親でもきょうだいでもなく、足助あすけという飯炊めしたきの老僕であった。
榎物語 (新字新仮名) / 山本周五郎(著)
さとったらしく、急に山道を迂回うかいして、瀬戸峠から、足助あすけの町のほうへ下って行くとのしらせ——それが、山中ばかり追い歩いた四日目の午頃ひるごろだった。
新書太閤記:01 第一分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
固めていた敵方の将は、足助あすけ次郎垂範しげのりであったが、三人張りの強弓に、十三束三伏の、雁叉かりまたの矢をひきつがえ、二町をへだてた我らの陣へ鳴り音たかく射てよこした
あさひの鎧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
左の方よりは足助あすけの二郎重景とて、小松殿恩顧のさむらひなるが、維盛卿よりわかきこと二歳にて、今年まさ二十はたち壯年わかもの、上下同じ素絹そけんの水干の下に燃ゆるが如き緋の下袍したぎを見せ
滝口入道 (旧字旧仮名) / 高山樗牛(著)
かれのみか、丹羽昌仙にわしょうせん蚕婆かいこばばあ穴山あなやま残党ざんとう足助あすけ佐分利さぶりの二名、そのほかなみいる野武士のぶしたちまで、みな総立そうだちとなり、あさましや、歓楽かんらくの席は、ただ一声ひとこえで乱脈となった。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
『そは時頼のぶんに過ぎたる仰せにて候ぞや。現在足助あすけ二郎重景など屈竟くつきやうの人々、少將殿の扈從こしようには候はずや。若年じやくねん未熟みじゆくの時頼、人にまさりし何ののうありて斯かる大任を御受け申すべき』
滝口入道 (旧字旧仮名) / 高山樗牛(著)
伊賀の服部はっとり三河の足助あすけ矢矧衆やはぎしゅうつわものどもが、色さまざまの旗標はたじるし立て、黄や緋縅や白檀びゃくだん磨きや、啄木たくぼく花革はなかわ、藤縅や、さては染め革や柑子こうじ革や、沢瀉おもだかなどの鎧を着、連銭葦毛れんぜんあしげ、虎月毛
あさひの鎧 (新字新仮名) / 国枝史郎(著)
天野あまの佐分利さぶり足助あすけの三人は、陣刀じんとうのつかをにぎりしめつつ、駕籠口かごぐちへ身がまえた。
神州天馬侠 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
足助あすけ次郎が、幕府方の荒尾兄弟を射て取り、般若寺はんにゃじの本性坊が、寄せ手の頭上に、大石の雨を降らせて、天皇旗の下に、二度の凱歌をわき上がらせたのも、この日につづいた合戦の中だった。
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
また武士側は、足助あすけ次郎重成しげなり多治見たじみ国長、土岐左近頼兼ときさこんよりかねなどの十数人。
私本太平記:02 婆娑羅帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)