)” の例文
すなわち三丰のりし所の武当ぶとう 大和山たいかざんかんを営み、えきする三十万、ついやす百万、工部侍郎こうぶじろう郭𤧫かくつい隆平侯りゅうへいこう張信ちょうしん、事に当りしという。
運命 (新字新仮名) / 幸田露伴(著)
義侠の巴山人奮然意を決してまづわれら木曜会の気勢を揚げしめんがためにを投じ美育社なるものを興し月刊雑誌『饒舌じょうぜつ』を発行したり。
書かでもの記 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
蘭軒のしつ飯田氏ますは夫にさきだつて歿したので、蘭軒歿後には只側室佐藤氏さよが残つただけである。榛軒はいくばくもあらぬに、これにを与へて人に嫁せしめた。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
べんジ其名実ヲただシ集メテ以テ之ヲ大成シ此ニ日本植物誌ヲ作ルヲ素志そしトナシ我身命ヲシテ其成功ヲ見ント欲スさきニハ其宿望遂ニ抑フ可カラズ僅カニ一介書生ノ身ヲ以テ敢テ此大業ニ当リ自ラなげうツテ先ヅ其図篇ヲ発刊シ其事漸クちょつきシトいえどモ後いくばクモナク悲運ニ遭遇シテ其梓行しこうヲ停止シ此ニ再ビ好機来復ノ日ヲ
これ南岳の句にして小波巌谷さざなみいわや先生書する所、石もまた巌谷翁のてて建てられしものなり。
礫川徜徉記 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
今わたくしのもとに帰省詩嚢と云ふ小冊子がある。これは浜野知三郎さんに借りてゐる書である。霞亭の門人井達夫せいたつふ等は嘗ててゝ霞亭の薇山三観を刻して知友におくつた。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
おおむね皆衣食だに給せざるを以て、これに及ぶにいとまあらざるのである。よろしく現に甲冑を有せざるものには、金十八両を貸与してこれがてしめ、年賦に依って還納せしむべきである。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
いやしくも筆を通俗小説にらんとするものの為すべき所にあらざるや論をたず。僕今芸者の長襦袢ながじゅばんあがなはんがために、わが生涯の醜事を叙し出して通俗小説に代へ以て売文のむさぼらんとす。
桑中喜語 (新字旧仮名) / 永井荷風(著)
方今校刻の業盛に興つて、某会某社と称するもの指かゞなふるにいとまあらざる程である。若しを投じ盟に加はつてゐたら、立どころに希覯きこうの書万巻を致さむことも、或は難きことをひつとせぬであらう。
伊沢蘭軒 (新字旧仮名) / 森鴎外(著)
渋江家は代々学医であったから、父祖の手沢しゅたくを存じている書籍がすくなくなかっただろうが、現に『経籍訪古志けいせきほうこし』に載っている書目を見ても抽斎が書を買うためにおしまなかったことは想いられる。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)