菩提所ぼだいしよ)” の例文
戸籍は島田町にあつて、町の北半里ばかりの傳心寺に住んでゐる。傳心寺は桑原氏が獨力を以て建立こんりふした禪寺で、寺祿じろくをも有してゐる。桑原氏累代るゐだい菩提所ぼだいしよである。
寿阿弥の手紙 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
信仰しんかうなし己の菩提所ぼだいしよ牛込うしごめの宗伯寺なりしが終に一大檀那だいだんなとなり寄進の品も多く又雜司ざふし鬼子母神きしぼじん金杉かなすぎ毘沙門天びしやもんてん池上いけがみ祖師堂そしだうなどの寶前はうぜん龍越りうこしと云ふ大形の香爐かうろ
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
眞弓 赤坂の菩提所ぼだいしよへ仏参のかへり路、よいところへ来合せました。天下の御旗本ともあるべき者が、町人どもを相手にして、達引たてひきとか達入たていれとか、毎日毎日の喧嘩沙汰、さりとは見あげた心掛ぢや。
番町皿屋敷 (新字旧仮名) / 岡本綺堂(著)
「越前屋の菩提所ぼだいしよは何處だ?」
余が眼目をさへくらませし程のやつ、汝等なむぢらが欺かれたるはもつとものことなり、すこし咎申付とがめまうしつくる所存なし、しかし汝は格別世話にもなりたる者なれば、汝が菩提所ぼだいしよへなりとも
寿阿弥の手紙 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)
添てになひ不淨門へ向ひ屆けるやうは今日用人平石次右衞門老母儀らうぼぎ病死びやうし致候依て只今菩提所ぼだいしよへ送り申なり御門御通し下さるべしとことわりけるに當番たうばんの御小人目附はぢやうを明け駕籠を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
はげまし少しも早く全快ぜんくわいなし給へとて種々にいたはりけれどもつひに介抱のしるしもなく母は正徳元年七月二十一日病死し菩提所ぼだいしよ不動院ふどうゐんはうむ月堂げつだう貞飾ていしよく信女しんによと云戒名にあはれを止めけり村方にては九助の孝心を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
そして自分の菩提所ぼだいしよとぶらひをいたして進ぜたのだと申します。
寿阿弥の手紙 (旧字旧仮名) / 森鴎外(著)