芸州げいしゅう)” の例文
旧字:藝州
因幡いなばの迷信としてはトウビョウである。そのトウビョウは芸州げいしゅうのとは違い、人狐に近い方で、手の爪が二重になって、一手に十ついている。
迷信と宗教 (新字新仮名) / 井上円了(著)
る時、芸州げいしゅう仁方にがたから来て居た書生、三刀元寛みとうげんかんう男に、たい味噌漬みそづけもらって来たが喰わぬかとうと
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
芸州げいしゅう口の井伊榊原も夜襲を横合から掛けられて、散々に敗走するし、石州口は、津和野藩は早く長州に内通していたから、長州兵はそこを通り越して浜田領へ攻め込み
鳴雪自叙伝 (新字新仮名) / 内藤鳴雪(著)
これは毛利殿へあてた重要な密書であるが、そちならばと見込んで申しつける。すぐ大坂へ出て、海路芸州げいしゅうへ渡り、同所の杉原盛重もりしげどのの手を介して、毛利殿へお取次を
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ここに赤穂義士の連盟も分裂の危機にひんしたのである。が、幸か不幸か、七月の二十二日になって、江戸の吉田忠左衛門から浅野大学が芸州げいしゅう広島へ流謫りゅうたくを命ぜられたことを報じてきた。
四十八人目 (新字新仮名) / 森田草平(著)
伝うるところによると、前年尾州の御隠居が総督として芸州げいしゅうまで進まれた時は実に長州に向かって開戦する覚悟であった、それにひきかえて今度の進発は初めから戦わない覚悟である。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
毛利領では、その重臣、芸州げいしゅう三入みりの城主メルキオル熊谷豊前守が一族臣下百余名と共に殉教。同じく山口で神父の代理をつとめてゐた切支丹の中心人物、盲人の琵琶法師ダミヤンが殉教した。
芸州げいしゅう広島ひろしま御城下ごじょうかでございます。」
古千屋 (新字新仮名) / 芥川竜之介(著)
あるじは、芸州げいしゅう浪人の茨右近。
魔像:新版大岡政談 (新字新仮名) / 林不忘(著)
と、恩に服し、その妻子や郎党など三十人ほどを伴って、芸州げいしゅうへ護送されて行ったのであった。
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
この人狐のことを、あるいは狐持きつねもちとも申す。また、芸州げいしゅう辺りにてトウビョウというものがある。あるいはこれは蛇持ちともいう。石見いわみにては土瓶どがめとも申すということじゃ。
迷信解 (新字新仮名) / 井上円了(著)
糺問所きゅうもんじょと云う牢屋ろうやのようなものがあって、その糺問所の手に掛って古川節蔵せつぞうと、前年、私が米国に同行した小笠原賢蔵おがさわらけんぞうと云う海軍士官と、二人ふたり連れで霞ヶ関の芸州げいしゅうの屋敷に監禁されて居る。
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
あらためて芸州げいしゅう吉田城へ質子ひとじちを入れられよ、拒絶とあればそれもよし、二度と使者としてはこの播州ばんしゅうへ来ないであろうと、充分な威嚇いかく口上こうじょうにもふくんで、輝元の書簡をも
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
愈よ荷物を片付けようと云うので箪笥を細引ほそびきしばって、青山の方へもって行けば大丈夫だろう、何もただの人間を害する気遣きづかいはないからと云うので、青山の穏田おんでんと云う処に呉黄石くれこうせきと云う芸州げいしゅうの医者があって
福翁自伝:02 福翁自伝 (新字新仮名) / 福沢諭吉(著)
芸州げいしゅうを去った光秀は、肥前肥後の山野を跋渉ばっしょうして、大友家の領内をもたろう。海外の天地も、海を隔てて想像したろう。海路、四国へも出、長曾我部ちょうそかべ氏の兵法もうかがったろう。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「捨ておかれぬ大事である」となして、つならば今、信長がなお、他に繁忙なうちにこそと、はやくも兵船十数艘に、芸州げいしゅう吉田の兵を満載して、姫路附近の海辺から押しあげて来た。
黒田如水 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
かたがた、本能寺襲撃の早朝、堀川の陣から急派しておいた毛利向けの二使者が、海路陸路、いずれかの一人は、くに芸州げいしゅうへ行き着いて、中央の異変を知り、自分からの書簡を見て
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
俯伏うつぶした黒髪は、西の方、毛利の本国芸州げいしゅうの方へ向いていた。
新書太閤記:07 第七分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)