腐蝕ふしょく)” の例文
上のまん中の二枚の歯の接触点から始まった腐蝕ふしょくがだんだんに両方に広がって行って歯の根もとと先端との間の機械的結合を弱めた。
自由画稿 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
或る工学者が水道鉄管の腐蝕ふしょくの現象を研究されているが、その人の話でも、実験室内で腐蝕をおこさすまでは大変な苦労であったが
「霜柱の研究」について (新字新仮名) / 中谷宇吉郎(著)
にぎやかだよ。ちょっと行って御覧。なに電車に乗って行けば訳はない」と勧めた。そうして自分は寒さに腐蝕ふしょくされたように赤い顔をしていた。
(新字新仮名) / 夏目漱石(著)
化学薬品に浸して腐蝕ふしょくさせ、その凹刻面に、鉄サビ漆を沈ませて研ぎ出した上、金、青金、銀などのメッキをかけて、さらに精巧な毛彫りをかける。
資本主義の病毒は教化の精神を腐蝕ふしょくし尽くしている。子供は全く自由を奪われ、そこでは競争を強いられ、人間同志が相互に敵視することを学ぶのだ。
子供は虐待に黙従す (新字新仮名) / 小川未明(著)
ところがあのころには、文字を刻む針が腐蝕ふしょくさせる液体をしたたらせていました。その液体は今ではもう使用してはいけないことになっているのです。
流刑地で (新字新仮名) / フランツ・カフカ(著)
外へ出て見たら、それは劇薬の塩酸の空瓶あきびんだった。塩酸は印刷に使う銅の板を磨いたり、腐蝕ふしょくさせて、いろいろの文字や模様を彫り込むのに使うのさ。
贋紙幣事件 (新字新仮名) / 甲賀三郎(著)
医者のはなしでは顎骨あごぼね腐蝕ふしょくした病毒が脳を冒せば治療の道がないとのことである。重吉が玉子と共に病院を出たのはその夜も十時を過ぎた頃である。
ひかげの花 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
もっとも強い人々も幾人かかつてそれに害せられた。それはローマの青銅の牝狼めすおおかみ腐蝕ふしょくしていた。ローマは死のにおいをたてている。あまりに墳墓が多過ぎる。
池の胴を挟んでゐる杉木立と青あしとは、両脇からび込む腐蝕ふしょくのやうにくろずんで来た。
過去世 (新字旧仮名) / 岡本かの子(著)
すなわち彼は、英国の海岸を外より脅かさんとせるドイツの恐るべきを知ると同時に、国家の臓腑ぞうふを内より腐蝕ふしょくせんとする貧困のさらに恐るべき大敵たることを発見したものである。
貧乏物語 (新字新仮名) / 河上肇(著)
たとえば三重塔のうちに、平安時代の釈迦如来像一躯が安置されているが、衆生しゅじょうに向って挙げたその右の御手は中指が一本残っているだけで、他の指はことごと腐蝕ふしょく剥落はくらくしてしまっている。
大和古寺風物誌 (新字新仮名) / 亀井勝一郎(著)
畳屋の方こそ、黒々と塗って、大した不体裁もありませんが、こちらの方は見る影もなく荒れて、支えの柱は所々ゆがんだまま、さらされきった板は、灰色に腐蝕ふしょくして、所々に節穴さえ開いております。
田中館たなかだて先生が電流による水道鉄管の腐蝕ふしょくに関する研究をされた時、やはりこの池の水中でいろいろの実験をやられたように聞いている。
(新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
私には私の心を腐蝕ふしょくするような不愉快なかたまりが常にあった。私は陰欝いんうつな顔をしながら、ぼんやり雨の降る中を歩いていた。
硝子戸の中 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
掠奪、輪姦、暴酒、あらゆる悪徳が、残暑のカビみたいに、敵味方の兵を腐蝕ふしょくしだした。「軍令」そんなものが、もう人間を規矩きくしうる現実ではない。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
一定の対象のない恋愛くらい破壊的なものはない。それはあらゆる力を腐蝕ふしょくし溶解する。しかしはっきりわかってる情熱は、精神を極度に緊張させる。それは人を疲らせるものではある。
だがこの間に、魏王の威力と、その黄金力や栄誉の誘惑はしんしんとして、朝廟の内官を腐蝕ふしょくするに努めていた。
三国志:10 出師の巻 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
台湾たいわんのある地方では鉄筋コンクリート造りの鉄筋がすっかり腐蝕ふしょくして始末に困っているという話である。
日本人の自然観 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
父は実際に於て年々この生活慾の為に腐蝕ふしょくされつつ今日に至った。だから昔の自分と、今の自分の間には、大きな相違のあるべきはずである。それを父は自認していなかった。
それから (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
腐蝕ふしょくした制度や老朽した思想の滑稽こっけいな点に最も敏感な精神の所有者であった。
したがって金などを受けると、私が人のために働いてやるという余地、——今の私にはこの余地がまた極めて狭いのです。——その貴重な余地を腐蝕ふしょくさせられたような心持になります
硝子戸の中 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
ほんとうの苦しみは、それがみずからこしらえた深い寝床の中に、平静な様子で横たわって、あたかも眠ってるがように見えるけれど、しかしなおそこで、魂を腐蝕ふしょくしつづけるものである。
並んだ歯の一本がむしばみ腐蝕ふしょくしはじめるとだんだんに隣の歯へ腐蝕が伝播でんぱして行くのを恐れるのであろう。しかし天下の歯がみんなむし歯になったらこんな言葉はもういらなくなる勘定であろう。
自由画稿 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)