聖代せいだい)” の例文
明治の聖代せいだいになって、西洋諸国との交通が開かれた。眠れる国日本は急に眼覚めて巨人のごとく歩み出した。一歩はゆうに半世紀を飛び越えた。
○そも/\ 醍醐だいご天皇は(在位卅二年)百廿代の御皇統くわうとうの中にも殊に御徳達とくたつたりしゆゑ、延喜の聖代せいだいと称し、御在位の久かりしゆゑ 延喜帝とも申奉る。
物美なれば其虫いよいよ醜く事利あれば此に伴うの害いよいよ大なり。聖代せいだい武をたっとべば官に苛酷のを出し文を尚べば家に放蕩の児を生ず倶に免れがたし。
偏奇館漫録 (新字新仮名) / 永井荷風(著)
れにも入るべし、れにも加はるべし、推移するにはゞからざるが故に、さてなん人々今を聖代せいだいと称す。
青眼白頭 (新字旧仮名) / 斎藤緑雨(著)
この方法によりさえすれば、大正の聖代せいだいにこの私丈けは、謂わば斬捨て御免ごめんも同様なのです。
赤い部屋 (新字新仮名) / 江戸川乱歩(著)
捨給すてたまはぬ聖代せいだいかしこき御代とは申ながら土民の事に付天下の御役人樣へ御苦勞くらう掛奉つる事冥加みやうがほども恐しく此末の申わけたゝず此儘死罪に相成とも少も御うらみとは存奉つらずと申立ければ大岡殿コリヤ九助其方は然樣に申ても一かうあと方もなき儀を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)
○そも/\ 醍醐だいご天皇は(在位卅二年)百廿代の御皇統くわうとうの中にも殊に御徳達とくたつたりしゆゑ、延喜の聖代せいだいと称し、御在位の久かりしゆゑ 延喜帝とも申奉る。
それ聖代せいだいには麟鳳りんほう來儀らいぎ仁君じんくんの代には賢臣けんしんあつまるとうべなるかな我がてう徳川とくがは八代將軍有徳院殿いうとくゐんでんの御代に八賢士あり土屋相摸守つちやさがみのかみ松平右近將監まつだひらうこんしやうげん加納遠江守かなふとほたふみのかみ小笠原若狹守をがさはらわかさのかみ水野山城守みづのやましろのかみ堀田相摸守ほつたさがみのかみ大岡越前守おほをかゑちぜんのかみ神尾若狹守かんをわかさのかみ是なり然るに其有徳院殿の御代享保きやうほ二年大岡越前守町奉行ぶぎやうと成始めて工夫のさばきあり其原因を
大岡政談 (旧字旧仮名) / 作者不詳(著)