真砂町まさごちょう)” の例文
旧字:眞砂町
(急いで出ようとして敷居につまずく。)「あぶないぞナ。」「なに大丈夫サ、大丈夫天下の志サ。おい車屋、真砂町まさごちょうまで行くのだ。」
初夢 (新字新仮名) / 正岡子規(著)
真砂町まさごちょう喜三郎きさぶろう——若くて野心的で、平次の心酔者なる御用聞が、風呂敷に包んだまま、三百両の小判を持って来て見せたのです。
真砂町まさごちょうで偶然出会ったから連れ立って帰って来たのだと説明しました。私はそれ以上に立ち入った質問を控えなければなりませんでした。
こころ (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
壱岐殿坂の中途を左へ真砂町まさごちょうへ上るダラダラ坂を登り切った左側の路次裏の何とかいう下宿へ移ってから緑雨はにわか落魄おちぶれた。
斎藤緑雨 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
先生の処へ行こうと思って、濠端ほりばたの電車に乗ったら、あの人も追いけて来たので、水道橋で降りててくてく真砂町まさごちょうの方へ歩いて行ったの。
仮装人物 (新字新仮名) / 徳田秋声(著)
ここな二階から見ると真砂町まさごちょうの何とか館の廊下を膳をはこぶ下女が見える。下は狭い平庭で柿が一本。猫がよくこれを伝うて隣の屋根に上るのである。
雪ちゃん (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
文政十二年三月十七日に歿して、享年五十三であったというから、抽斎の生れた時二十九歳で、本郷ほんごう真砂町まさごちょうに住んでいた。阿部家は既に備中守びっちゅうのかみ正精まさきよの世になっていた。
渋江抽斎 (新字新仮名) / 森鴎外(著)
彼女ははじめての東京を、深川から修造のいる本郷真砂町まさごちょうまで、人に聞き聞きたずねていった。せまい三畳に、彼は友だちと一しょにいた。会ってみれば何のことはない。
(新字新仮名) / 壺井栄(著)
廿七年二月のある日の午後に、本郷区真砂町まさごちょう卅二番地の、あぶみ坂上の、下宿屋の横を曲ったのは彼女であった。その路は馴染なじみのある土地であった。菊坂きくざかの旧居は近かった。
樋口一葉 (新字新仮名) / 長谷川時雨(著)
……桐箱をかかえてボンヤリあたしのところへやって来て、ありようをくわしく話し、これから真砂町まさごちょうの自身番へ名のって出るつもりだから、どうか伜のことはおたのみ申す。
顎十郎捕物帳:08 氷献上 (新字新仮名) / 久生十蘭(著)
貴方の大事なお師匠さま、真砂町まさごちょうの先生、奥様、お二方を第一に、御機嫌よう、お達者なよう。そして、可愛いお嬢さんが、して決して河野こうのなんかと御縁組なさいませんよう。
湯島の境内 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
つまり「婦系図おんなけいず」の中に出て来る真砂町まさごちょうの先生、あのモデルが紅葉山人なのである。
文壇昔ばなし (新字新仮名) / 谷崎潤一郎(著)
「本郷の真砂町まさごちょうよ」
親鳥子鳥 (新字新仮名) / 佐々木邦(著)
翌日はうやら上野まで辿り着いて、お染を牛込の親類の家に送り届けた金三郎は、その晩真砂町まさごちょうの富士見軒で、友人五六人の催した送別会に臨み
名刺には里見美禰子さとみみねことあった。本郷ほんごう真砂町まさごちょうだから谷を越すとすぐ向こうである。三四郎がこの名刺をながめているあいだに、女は椽に腰をおろした。
三四郎 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
初めは仲猿楽町に新居を構えたが、その後真砂町まさごちょう、皆川町、飯田町いいだまち東片町ひがしかたまちとしばしば転居した。
二葉亭四迷の一生 (新字新仮名) / 内田魯庵(著)
麹町こうじまち辺であるが、どこをどう廻ったのか、真砂町まさごちょうの嬢さんがこの辺へ来るのは、旅行をするようなもので、野山を越えてはるばると……近所で温習ならっている三味線さみせんも、旅の衣はすずかけの
婦系図 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
「それでは後がうるさい。何をいても町役人と、真砂町まさごちょうの親分に知らせなきゃなるまい。お前一と走り頼むぜ」
私はたいてい一週に一度くらいの割で彼をたずねた。ある年の暑中休暇などには、毎日欠かさず真砂町まさごちょうに下宿している彼を誘って、大川おおかわの水泳場まで行った。
硝子戸の中 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)
真砂町まさごちょうの、」
婦系図 (新字新仮名) / 泉鏡花(著)
それから真砂町まさごちょうで野々宮君に西洋料理のごちそうになった。野々宮君の話では本郷でいちばんうまいうちだそうだ。けれども三四郎にはただ西洋料理の味がするだけであった。
三四郎 (新字新仮名) / 夏目漱石(著)