熱田あつた)” の例文
宿しゅくでは十八人ずつの夜番が交替に出て、街道から裏道までを警戒した。祈祷きとうのためと言って村の代参を名古屋の熱田あつた神社へも送った。
夜明け前:01 第一部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
熱田あつた加藤図書かとうずしょ、愛知郡の飯尾隠岐守いいおおきのかみ、岐阜城の物頭ものがしら早川大膳だいぜん篠田右近しのだうこん春日井かすがい郡から馳せ加わった下方左近将監しもかたさこんのしょうげん——などがある。
新書太閤記:03 第三分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
熱田あつた八剣やつるぎ森陰より伏し拝みてセメント会社の煙突に白湾子と焼芋かじりながらこのあたりを徘徊はいかいせし当時を思い浮べては宮川みやがわ行の夜船の寒さ。
東上記 (新字新仮名) / 寺田寅彦(著)
名古屋城内でふすまに描かれた虎の絵を見て、「経済学者の顔のようだ」と言われたり、熱田あつた神宮で手洗いの浄水溜めを見て、「神聖の水は危険だ」と揶揄やゆされたり
尾張熱田あつたの社から持って来て置いたもので、その人はもと熱田の禰宜ねぎであったのが、この部落の人と結婚したために、熱田にいられなくなってここへ来て住んだといって
日本の伝説 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
愛知県熱田あつた海岸の漁師の話によると、従来の経験では地震のある前にはキスが釣れない。
地震なまず (新字新仮名) / 武者金吉(著)
六郎 お先觸れの同勢はもはや尾州びしう熱田あつたまで到着したとか申すことでござりまする。
佐々木高綱 (旧字旧仮名) / 岡本綺堂(著)
家康の徳川勢も、同様の目的のもとに、今十四日には、すでに熱田あつたまで来ていた。そしてなお京都へ向って続々行軍中であった。
新書太閤記:08 第八分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「実は——」と正太は沈痛な語気で、「熱田あつたへ遊びに参りましたら、その帰り道で洗礼を受けました——二度、喀血かっけつしました」
家:02 (下) (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
この頃は鳥喰神事とりばみのしんじに深い興味を抱いて、書物で知っただけの場所は、片っ端から尋ねてあるいているということである。熱田あつた神宮で行われる鳥食いの古式は、この春も拝観して来た。
時を気づかう尾州の御隠居(慶勝よしかつ)が護衛の兵を引き連れ熱田あつたまで新帝をお出迎えしたとの話を持って来るのは、一番年の若い蓬莱屋ほうらいやの新助だ。
夜明け前:03 第二部上 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
日本本土で一番北の端にあるのは、奥州外南部そとなんぶ正津川しょうづがわ村の姥堂で、私も一度お参りをしたことがあります。東海道では尾張おわり熱田あつたの町にある姥堂は、古くから有名なものでありました。
日本の伝説 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
熱田あつた神宮では、本殿そのほか、大修理の工事にかかっていた。
新書太閤記:04 第四分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
多くの篤胤没後の門人中で彼にはことに親しみの深く忘れがたいあの正香も、賀茂かもの少宮司から熱田あつたの少宮司に転じ、今は熱田の大宮司として働いている人である。
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
熊野くまのを振り出しに伊勢や熱田あつたのあたりへ移って来て、やがて第二の勢力にその地位を譲って、消えてなくなってしまった比丘尼衆びくにしゅうを始めとし、かつてこの国土に弥蔓びまんした遊行女婦ゆうこうじょふの名は数多い。
木綿以前の事 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
ここは西へ真っ直ぐに、もう四、五里とはない、熱田あつた街道だ。
新書太閤記:02 第二分冊 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ところどころ汽車にも乗って、熱田あつたの町まで行った。熱田から便船で四日市よっかいちへ渡り、亀山という所にも一晩泊り、それから深い寂しい山路を歩いて伊賀近江おうみ国境くにざかいを越した。
桜の実の熟する時 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
伊勢いせ熱田あつたの両神宮、ならびに摂津海岸の警衛を厳重にして、万一の防禦ぼうぎょに備えたのも、尾州藩の奔走周旋による。尾州の御隠居は京都にあって中国の大藩を代表していたと見ていい。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
「それを落とすようなことはしません。熱田あつた暮田正香くれたまさか先生のところへも。」
夜明け前:04 第二部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)
熱田あつた太神宮のお札は蓬莱屋ほうらいやの庭の椿つばきの枝へも降り、伏見屋の表格子おもてごうしの内へも降り、梅屋の裏座敷の庭先にある高塀たかべいの上へも降った。まだそのほかに、八幡宮のお札の降ったところが二か所もある。
夜明け前:02 第一部下 (新字新仮名) / 島崎藤村(著)