水分みくまり)” の例文
上の水分みくまり神社の桜も、下の山添い道の山桜も、散りぬいていた。花ビラのあやしい舞が彼の童心を夢幻と昂奮こうふんの渦にひきこむのか。
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
陸中石巻の白山はくさん神社、磐城いわき倉石山の水分みくまり神社、九州では薩摩串木野の冠岳かんむりだけ(西)神社など、何れも旧来卯月八日を以て祭日としているのである。
年中行事覚書 (新字新仮名) / 柳田国男(著)
「神さぶる磐根いはねこごしきみ芳野よしぬ水分みくまり山を見ればかなしも」(巻七・一一三〇)、「黄葉の過ぎにし子等とたづさはり遊びし磯を見れば悲しも」(巻九・一七九六)
万葉秀歌 (新字新仮名) / 斎藤茂吉(著)
この速秋津日子はやあきつひこ速秋津比賣はやあきつひめ二神ふたはしら、河海によりて持ち別けて生みたまふ神の名は、沫那藝あわなぎの神。次に沫那美あわなみの神。次に頬那藝つらなぎの神。次に頬那美つらなみの神。次にあめ水分みくまりの神。次にくに水分みくまりの神。
「すると、正遠は、はや亡き人ゆえ、卯木の実家方さとかたをたどるなれば、必然、水分みくまりにて家督をつぎおる現当主、楠木兵衛となりますな」
私本太平記:03 みなかみ帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
兄の楠木正成は、ほど近い水分みくまりに“御本屋ごほんや”として、さらに大きな山館やまやかたを構えているが、弟の正季は、べつに一邸をここに持っていた。
私本太平記:03 みなかみ帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「どうしよう。聞かれた通り、この者は、日野朝臣がまたなき者と頼んで、水分みくまりのお館へも、極秘な使いによこされた程な男だが」
私本太平記:02 婆娑羅帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そして彼は龍泉寺の邸に帰り、あくる日、水分みくまりに兄の正成を訪うと、正成は納経のため登山したとのこと。聞くと正季は、嘆じて言った。
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
土豪にしては無能なほど、隣郡との軋轢あつれきなども避け、ただ無事を守っている水分みくまりたちだったが、それにしてさえ、敵はあった。
私本太平記:03 みなかみ帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
山腹や麓の部落には、さくらも桃も一しょに咲いてきたし、下赤坂しもあかさかの城、また、かつての水分みくまり御本屋ごほんやたち)も、みな新しく建て直っている。
私本太平記:11 筑紫帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ただ河内地方は去年も今年もあいにくな旱魃かんばつで作物のみいりはよくなく、蓄備の郷倉も水分みくまりの土倉もその底は浅かった。
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
里人さとびとの噂をきいて、いつはやく、時親の門をたたいたのは、ここから遠からぬ赤坂の水分みくまりに住む楠木家の一冠者かじゃだった。つまり正季の兄、正成である。
私本太平記:02 婆娑羅帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
それはあったね、閑人ひまじんとみて、みんな茶ばなしに寄ってくるんだな。そのなかに、はや、むかしだが、水分みくまり多聞丸たもんまる(正成の幼名)とかいうのもいたね。
私本太平記:07 千早帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
おれだって、ぎょッとしたよ。たしかその三年前か、木菟みみずくの権三は、水分みくまりの雨乞い祭りの晩、神社の石だんの下で、喧嘩相手にたたきつけられ、血ヘドを
私本太平記:06 八荒帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
そっとこの水分みくまりへ頼ってきた時は——あれほど妹夫婦の身を思いやっていた肉親の兄正成が、どうして今日はと、久子には、良人の眉の彫りがわからない。
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
べつに自己のはかりとする抱懐ほうかいもつぶさに述べて、やがて笠置を退がったにちがいない。——とにかく正成は、また即刻、河内の水分みくまりへ帰って行ったのだった。
私本太平記:04 帝獄帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ただ同日、小雨の中を、観心寺、赤坂、水分みくまり、楠木氏夫人の遺蹟など、多大な労をとって下すった郷土の諸氏に、厚くお礼だけをのべておく。(三三・六・二)
随筆 私本太平記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
水分みくまりの方から馬で安間了現りょうげんと桐山小六の二人がここへ向って飛んで来る姿が、道のはるかに見えていた。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
ところで、とうの正成は、なお赤坂城へも姿をみせてはいなかった。すべては水分みくまりたちのおくから弟の正季、祐筆の安間了現、久子の兄松尾季綱すえつならにさしずしていた。
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
「げに一ト頃は、この水分みくまりたちさえ焼き払い、千早の孤塁こるいに冬をすごし、草を喰べ、よくぞ生きてきたものよ。しかも、その籠城中に、そなたは観世丸を産んでいた」
私本太平記:12 湊川帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
正成の住む水分みくまりから、彼の山荘へ来るには、三昧谷道さんまいだにみち三日市道みかいちみち葛野道くずのみちなどの三ツの小道がある。
私本太平記:02 婆娑羅帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
母ぎみを他所よそへ移す御処置のために、水分みくまりへ一夜お帰りあったなどのことが、もし親房卿のお耳に入っていたとすれば、あの亜相のことだ、どんなにが御叱咤ごしったをもって
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
水分みくまりの奥なる山中の一庵において静かに朝夕することができていたのではあるまいか。
私本太平記:13 黒白帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
楠木氏が水分みくまりの水利権を抑えていたのが、この地方に重きをなしていた重因であるとるのが、豊田氏の近説である。道に辷り、山坂の小雨しぶきに濡れながら、豊田氏の説にうなずく。
随筆 私本太平記 (新字新仮名) / 吉川英治(著)
一族、赤坂へたてこもる日、水分みくまりの家庭は焼き払っていたのである。
私本太平記:05 世の辻の帖 (新字新仮名) / 吉川英治(著)